2024.12月
主宰句
こともあらうに法然の柿盗人
白壁の熟柿の影を危ぶめり
あてまげの道のここにも木守柿
まほろばの糠雨にこそ野紺菊
火恋し神へ玉砂利万と踏み
立冬の山にほどよき日の力
枳殻の垣に冬日の真つぶさな
雨を呼ぶ鳰のもとより濁り声
冬の蠅目玉ばかりを恃みとし
河豚食べて大阪弁の他知らず
巻頭15句
山尾玉藻推薦
地を這へる朝顔の紺獣めく 坂口夫佐子
鵙の贄風に叫んでをりにけり 山田美恵子
さかさまに椅子積んである穴惑 湯谷 良
軍列のごと進み来る踊かな 五島 節子
へうたんの面輪に徳のごときもの 蘭定かず子
揚梅の樹形張りゐる星月夜 小林 成子
吾が影の伸びゐる先の捨て南瓜 根本ひろ子
歯科医の壁真白台風接近中 藤田 素子
手水舎の竜水ゆたかなる厄日 松井 倫子
畑隅のくすぶつてゐる野分晴 高尾 豊子
カヤックを秋へ押し出す二人かな 上林ふらと
秋澄むや田舟に残る藁の屑 福盛 孝明
鶏頭の夕日を溜めてゐるところ 今澤 淑子
新しき風呼びにける愛の羽根 小野 勝弘
歯応へのよき石州の蝗かな 石原 暁子
今月の作品鑑賞
山尾玉藻
地を這へる朝顔の紺獣めく 坂口夫佐子
朝顔の蔓はどんなものにも巻き付く勢いがあり、巻き付くものがなければ地面を這って花を咲かせます。掲句も然り、地面に濃紺の花を咲かせています。地を這いずってまで咲く朝顔の強さを「獣」のようだと感受した点に大いに共鳴します。尚、花の色がピンクや白、また水色ではこの感覚は生まれなかったでしょう。
鵙の贄風に叫んでをりにけり 山田美恵子
「叫んでをりにけり」の直截的表現から、この鵙の贄は口を大きく開く蜥蜴か蛙でしょう。鵙に捕獲され枝に突き刺さされた瞬間、恐らくそれは断末魔の叫び声をあげたに違いありません。吹く風も身に入みて自然界の輪廻の厳しさを考えさせられます。写生力の極みを見せる一句です。
さかさまに椅子積んである穴惑 湯谷 良
無論野外の光景です。パイプ椅子のような椅子が逆さに積み上げてある場に、偶々秋の蛇が迷い出てきた様子です。蛇の目線となって掲句を感じてみると、椅子が逆さまに積まれてある光景はかなり脅威だったと思われます。意外な取り合わせが「穴惑」の哀れさを強調しています。
軍列のごと進み来る踊かな 五島 節子
踊の群列が一糸乱れず踊りながら進んでくる様子を「軍列のごと進み来る」との喩えに、思わず膝を打つ思いでした。「ごと」俳句を否定する向きもあるようですが、私は掲句の様に真を付いたものは良しと致します。
へうたんの面輪に徳のごときもの 蘭定かず子
掲句も「ごと」俳句ですがやはり真をついています。ほぼ楕円形の中央がくびれている瓢箪の形は何処か慕わしいものです。お多福面や布袋像も同様です。そこから受けるイメージを「徳のごときもの」と捉えて独自性があり、しかも読み手を納得させる力があります。
楊梅の樹形張りゐる星月夜 小林 成子
一般に鬱と繁る楊梅はこころ惹く対象ではないようです。しかし今作者はその樹形に注目し、そこに昼間には感じられないある種の緊張感の気配を覚えています。月夜が齎す感覚ではなく、月が無くとも星々が宙を明るくする「星月夜」ならばこそ抱く感覚なのでしょう。
吾が影の伸びゐる先の捨て南瓜 根本ひろ子
畑の辺を散歩していて、自分の影の長さと、その影の先の南瓜に気づいた作者です。それも無造作に捨てられている南瓜です。恐らく作者は、自分の影が自分と哀れな南瓜との間を取り持っているようで、少しの間歩みを止めて捨て南瓜と心を通わせたのでしょう。
歯科医の壁真白台風接近中 藤田 素子
作者は歯科医院の治療台に横になりながら緊張しています。それは、台風が接近している事実もさることながら、室内の壁の白さを「真白」とやたら意識している心理から窺い知れます。独自の感覚から成っています。
手水舎の竜水ゆたかなる厄日 松井 倫子
作者は今日が「厄日」であることをどこか意識しつつ参詣に来たのです。しかし手水の豊かな龍吐水で手を浄め、そんな気がかりも忘れてしまったことでしょう。
畑隅のくすぶつてゐる野分晴 高尾 豊子
野分後、畑では色々な廃物が生れるのでしょう。掲句、それら廃物が畑隅で燃やされているのですが、雨で湿ったものばかりで勢いよく燃えません。「くすぶつている」から過ぎ去った野分の厳しさが想像されます。
歯応へのよき石州の蝗かな 石原 暁子
「石州」とは島根県西部の旧国名「石見」を指します。日本三大瓦の石州瓦や世界遺産の石見銀山を思うと、どうしても感覚的に固いと言う心象を抱きます。そこでこの蝗の佃煮もかなり噛み応えがあっただろうと想像します。固有名詞が効果的な愉しい一句です。
カヤックを秋へ押し出す二人かな 上林ふらと
漕ぎ手が船体に潜り込むように座るカヤックは、人と舟が一体となった感があり、掲句の「二人」とは二艘のカヤックだと思われます。秋気の中の二艘の濃い陰影が印象的で、「秋へ押し出す」の表現も詩的です。
秋澄むや田舟に残る藁の屑 福盛 孝明
「田舟」とは湿田の田植えや刈り取り時のもろもろを人の手で押し運ぶ木舟。舟底に残る藁屑から知れるように、稲刈りを終えた田舟でしょう。落ち着きを取り戻した辺りの静けさに秋の深まりをしんと感じています。
鶏頭の夕日を溜めてゐるところ 今澤 淑子
鶏頭は花弁をぎっしりと畳み込んだような花形をしています。深紅の鶏頭花ならばまるで折からの夕日を奪い取ったような鮮やかさでしょう。「溜めてゐるところ」の措辞でその深紅が愈々濃くなってゆくようです。
新しき風呼びにける愛の羽根 小野 勝弘
愛の羽根を胸に差して貰った途端、今までと違う風が胸の羽根を揺らしに来たと感じたのです。少しばかりでも募金をしたという充足感がそう思わせたのです。