2020.1月
主宰句
狐火に遭ひたる人を羨めり
訪うたれば柴漬つくりゐたる背
拳なに放り込んだる闇夜汁
砲台に扉がひとつ北颪
冬枯やにれかむ音に音の無く
一陽や独りの嗽高らかに
ひと巡りして正面の無き聖樹
胸抱いて歌ふソプラノ雪降り来
米原にレール行きかふ寒さかな
灯を煌と岐阜羽島駅年詰まる
巻頭15句
山尾玉藻推薦
坂鳥に大和の塔のかがやけり 蘭定かず子
幽霊の図の褪せゐたり草津月 山田美恵子
鳥渡る二重ロックの窓越しを 小林 成子
鵙の贄ほとけはつかに身じろぎぬ 今澤 淑子
月明の葉蘭にきたすうらおもて 坂口夫佐子
穭田の水に日輪衰へ来 湯谷 良
呉るるならかの捨得図蚯蚓鳴く 西村 節子
籾殻に犬のつつこむ豊の秋 安積 亮子
きちきちや墓の朱書の錆びゐたる 根本ひろ子
ふるざけや河内ことばの九官鳥 林 範昭
秋深し昼の灯垂るる蔵の梁 松山 直美
秋天をまた確かめて柱拭く 尾崎 晶子
独り居にこんなにも馴れ温め酒 助口 もも
照り翳る雲に行く方牧を閉づ 大内 鉄幹
用ありて行く銀漢の向かう側 五島 節子
今月の作品鑑賞
山尾玉藻
坂鳥に大和の塔のかがやけり 蘭定かず子
昔の人々は山を越えていく渡り鳥を坂越えをしていると捉え、それを喩えた季語が「坂鳥」である。掲句、伊賀の山々を越えてきた鳥たちを、大和のとりどりの寺院の尖塔が輝きつつ迎え入れるという、雄大でロマンある景である。恐らくそれは万葉の世と少しもたがうことない景であろう。絶対的フレーズの「大和の塔」の快いひびきが、読むものをまほろばの世へ誘い込む。
幽霊の図の褪せゐたり草津月 山田美恵子
「草津月」とは草ぐさが花を咲かせ実を結ぶ季節をさし、陰暦八月の異称。どこかの寺が蔵する「幽霊の図」か、年月を経て色の褪せたその絵より不気味さはすでに失せ、親しい感情さえ抱かせたのかも知れない。「草津月」との取り合わせが効果的である。
鳥渡る二重ロックの窓越しを 小林 成子
人は人に対する懐疑心から「二重ロック」をする。しかし鳥同士は相手を疑うことなど知らず、また大空をどこまでも信じ切って北から渡ってくる。二重ロックされた窓越しに鳥の渡りを仰ぐ人間が痛々しいほど哀れな存在に思えてくる。
鵙の贄ほとけはつかに身じろぎぬ 今澤 淑子
以前生々しい蛙の「鵙の贄」に出会い、改めて自然界の厳しさを教えられたことを思い出す。作者も先ほど目にした鵙の贄に複雑な思いを抱きつつ、仏像の前に立っていたのだろう。と、一瞬仏像が身じろいだように思えた。それは仏が慈悲の手を鵙の贄に差し伸べた一瞬であったのか。「はつかに身じろぎぬ」とは、作者の脳裏に現実と非現実が交差した刹那の感覚であろう。
月明の葉蘭にきたすうらおもて 坂口夫佐子
昼間の明るさでは見逃していたが、「月明」の下の「葉蘭」に裏表があることに改めて気づいたという。庭先で特に目をひくものではない「葉蘭」に着眼した点がよく、ごわごわの固い葉っぱであるだけに「きたすうらおもて」に意外な説得力がある。
穭田の水に日輪衰へ来 湯谷 良
沢山の水溜りが光る田面であろうが、その上を渡る「日輪」が先ほどから陰り始めた様子である。当然、あちらこちらで日を返していた水溜りも徐々に翳りを漂わせ、辺りに秋冷の気が満ち始めた。そんな日輪の衰えを敢えて水溜りの所為であるとした点がこの句の妙味である。
呉るるならかの捨得図蚯蚓鳴く 西村 節子
遺品分けの話があるのだろうか。それならばと、以前から故人が自慢げに見せてくれた「かの捨得図」をと秘かに狙う作者である。この作者にして珍しく諧謔味ある一句である。恐らく叶わぬ願いとなったことだろうが。
籾殻に犬のつつこむ豊の秋 安積 亮子
脱穀あとの稲の「籾殻」が田面に山のように積まれてあり、連れていた犬が戯れてその柔らかな山に鼻から突進したのであろう。こんななんでもない景にも豊かな秋収めの雰囲気が象徴されており、温かな読後感を生む一句である。
きちきちや墓の朱書の錆びゐたる 根本ひろ子
比較的新しい墓石の裏には、それを建立した人物の名が刻まれ朱く塗ってある。「朱書の錆びゐたる」景は、その人物が長年壮健であることが窺い知れて、たとえ余所事であっても結構なことと宜える。辺りを跳ぶ「きちきち」の翅音も明るくひびく。
ふるざけや河内ことばの九官鳥 林 範昭
一般に河内弁と聞けば荒っぽい気性や威圧的印象を抱きがちだが、それが「河内ことば」と表されると忽ち温かさや情の深さが思われるから不思議なものだ。「古酒」を楽しむ人物も恐らく河内びとで、その人物と「九官鳥」の間で河内ことばがテンポよく交わされている様子が愉しく、そんな場には色、香、味わいの変化が楽しめる「古酒」が相応しい。フレッシュな香りの新酒ではこの句の味は活きてこない。
秋深し昼の灯垂るる蔵の梁 松山 直美
昼も蔵の中は暗く、大梁に吊られた電灯が恃みとなる。その電灯とて裸電球で蔵の隅まで明りが届いていないかも知れない。そんな中、作者の身を冷気が包み始める。母上の亡きあと、実家の蔵の整理に度々帰郷されると聞いている。蔵の品々は作者と母上を繋ぐものばかり、身に沁みて秋の深まりを覚える作者である。
秋天をまた確かめて柱拭く 尾崎 晶子
高く澄みわたる秋空に誘われたのか、拭き掃除にいそしむ作者である。縁側の柱を拭き込みながら、先ほどの「秋天」の美しさを確かめるように再び空を仰ぐ。この何気ない行為に秋を迎えた素直な喜びがある。
独り居にこんなにも馴れ温め酒 助口 もも
家人に先立たれた不遇をどんなに嘆いても、生きねばならぬ現実が容赦なく追いかけてくる。しかし、現実に流されまいと頑張る内に、悲しみが自ずと逞しさに転じていることにふと気づくことがある。そんな人の真実を語るのが「こんなにも馴れ」の飾らぬ表現である。知らぬ間に身についたゆとりが「温め酒」に垣間見えるのだが、やはりどことなくこの季語は侘しさを湛えている。
照り翳る雲に行く方牧を閉づ 大内 鉄幹
広大な牧場を雲が流れ、枯を兆し始めた草ぐさが照ったり陰ったりしている。小屋へ戻された牛馬たちは春まで小屋で不自由な時を過ごすのだろうが、白雲は自由に流れるばかりである。流れゆく雲を追う視線に、牛馬の心情をおもんばかる優しさを感じる。
用ありて行く銀漢のむかう側 五島 節子
夜間外出をした作者がふと仰いだ空に美しい「銀漢」が帯のように流れていた。それは作者が目指す先へ先へと広がっており、まるで作者を導いてくれているようでもあった。「銀漢のむかう側」の意識にほどよいロマンチシズムを感じる。