2021.6月
主宰句
はなむぐり斑の背大いに油断せる
泥まつたり動かし遂げぬ蜷の恋
諸子焼きくれし翁と仲良しに
八十八夜栗毛のどこか濡れゐたる
迷ひゐて焙炉の匂ふ辻に出し
卯月より皐月へぬつと抜けし鯉
古き佳き雨の音する更衣
豆ごはん独りにもたいなき緑
梅雨菌の踏まるるほどでなく踏まる
その音に柏落葉す山の鯉
巻頭15句
山尾玉藻推薦
雛調度パズルのごとく納めけり 尾崎 晶子
来る筈の椅子が隣にあたたかし 蘭定かず子
蛤の砂吐くこころ変りかな 湯谷 良
剝がすたび水の匂ひす春キャベツ 松山 直美
旅僧のひたすら唱ふ貝櫓 西村 節子
雲梯の峠をつかみ進級す 坂口夫佐子
空の碧湖の銀鳥つるむ 山田美恵子
潮鳴りの若木にありし松の芯 小林 成子
春塵や露店に並ぶ新暦 藤田 素子
春泥や唐十郎の紅テント 五島 節子
蘖やこれからのこともしものこと 松井 倫子
春の泥幼子ひよいと抓まるる 鍋谷 史郎
黄塵の空へ透明エレベーター 大内 鉄幹
肩越しにぬつと茶の出る春炬燵 成光 茂
春風や枝垂るるものに音のなく 石原 暁子
今月の作品鑑賞
山尾玉藻
雛調度パズルのごとく納めけり 尾崎 晶子
雛の調度品には箪笥、化粧道具、貝桶と合せ貝、将棋盤と駒、竈、はたまた牛車まであり、ミニチュアながら大変精巧に出来ています。それらを納める木箱も大小取り取りの形をしています。「パズルのごとく納めけり」の喩えには実感が籠められています。
来る筈の椅子が隣にあたたかし 蘭定かず子
本来、空席は気がかりなものですが、作者は全く逆の「あたたかし」と感じています。何故なら、その席に座るべき人が必ず来ることを先刻承知しているからです。時計を見ながら焦り気味のその人の貌を想像し、秘かに楽しんでいたのかも知れません。
蛤の砂吐くこころ変りかな 湯谷 良
蜆や浅利が砂を吐く景からこのような感覚は決して生まれないでしょう。蛤なら砂を吐く時に殻の内なる心情をほっと洩らすかも知れません。かなり主観の勝った句柄に違いありませんが、その美しさと雅やかなイメージから成った感覚であり、蛤ならではの一句と賛成致します。
剝がすたび水の匂ひす春キャベツ 松山 直美
「春キャベツ」は柔らかくて瑞々しいもの。そんな思いが「水の匂ひす」の確かな思いを呼んだのでしょう。この感覚に共感します。
旅僧のひたすら唱ふ貝櫓 西村 節子
「貝櫓」の句を得るのは結構難儀なものですが、その点この作者はかなり得手としているようです。懸命に経を唱える旅の僧の胸奥を占めるのは、自然界の実を畏敬する思いでしょうか、それとも虚を鎮める思いなのでしょうか。その上、この僧自身も漂泊の旅の途であり、虚実一体となった不思議な魅力を醸し出す一句です。
雲梯の峠をつかみ進級す 坂口夫佐子
最近の「雲梯」は非常に長く変化に富んでいます。最も高くなっている辺りを「峠」と表した点に納得し、この表現で「進級」した喜びと向後の明るさを巧みに象徴していると言えます。
空の碧湖の銀鳥つるむ 山田美恵子
語調を整え美しい景を描くのは一つの力量、でもそれだけでは魅力に欠けます。掲句、「鳥つるむ」と自然を賛美した点に主張性があり、それが魅力となっています。
潮鳴りの若木にありし松の芯 小林 成子
「潮鳴り」は海の生命力を象徴するもの、それに応えるように未だ幼い松も懸命に芯を立てて命を燃やしています。ここにも自然界の連鎖が躍如としています。
春塵や露店に並ぶ新暦 藤田 素子
いかにも暇そうな「露店」の、それもはや春となってしまった今年の「新暦」に興味を抱いた点に独自性があり、この作者らしい一句となっています。
春泥や唐十郎の紅テント 五島 節子
唐十郎率いる唐組は各地の境内や空き地や広場に突如「紅テント」を張り公演する、神出鬼没、変幻自在なアングラ劇団です。時代の風穴となって世に問い続けるその活動は地道な眩しさを放っています。その存在意義に着眼して、「春の泥」とは微妙に趣を異にする「春泥」との取り合わせた所に思わず膝を打ちました。
蘖やこれからのこともしものこと 松井 倫子
「蘖」とは「孫生(ひこばえ)」、即ち先々の思いや望みを托する対象と言ってよいでしょう。終活を考える歳になると否応なく先々を考えるものですが、そんな時に蘖を眼にするとどこか救われたように感じるものです。
春の泥幼子ひよいと抓まるる 鍋谷 史郎
道端に屈みこみ泥遊びでもしようとしていた子供が、傍らの大人に上着ごと軽々と引っ張り上げられた様子でしょう。少々乱暴な「抓まるる」ですが、却って愛らしさが強調されています。この屈託ない景には単純明快な「春の泥」がよく相応し、艶やかさを覚える「春泥」では違和感が残ります。
黄塵の空へ透明エレベーター 大内 鉄幹
お洒落な都会の象徴とも言える「透明エレベーター」ですが、「黄塵」まみれのグレーな街中では作者の眼にどう映ったのでしょう。濁った空へ空へと引き上げられるただのカートのように思えたのかも知れません。
肩越しにぬつと茶の出る春炬燵 成光 茂
春になっても炬燵を離れられない作者は、家人の眼に疎ましく映っていたに違いありません。「お~い、お茶」と所望した作者の肩越しにお茶が不愛想に出された景から、作者の後ろの家人の不服気な貌が思われて愉快です。
春風や枝垂るるものに音のなく 石原 暁子
枝垂れ梅や枝垂れ桜は無論の事、芽柳、雪柳、連翹など枝垂れ咲く春の花は多々あります。「春風」を頭に据えて「音のなく」を十分納得させる麗らかな一句です。