2021.7月

 

主宰句  

 

亀の子の泳ぎ始めし水の皺

 

ひやひやと脛はこびゐし蛭蓆

 

てつせんに母の朝の始まれる

 

中空といふふたしかを蚊喰鳥

 

星は数をカットグラスは藍尽くし

 

紙ン袋より完璧な蛇の殻

 

隣保みな木戸開いてゐる祭笛

 

父や早どんどこ船を聞き止めし

 

河骨に腓まづしく立ちゐたり

 

月かかり来て安心(あんじん)の山椒魚

 

巻頭15句

             山尾玉藻推薦                   

 

牡丹の切り落とされし余白かな      湯谷  良

 

姿見を運び入れけり春障子        蘭定かず子

 

チューリップ己が重さに気づき初む    藤田 素子

 

水音のこの星に籾蒔いてあり       松山 直美

 

夕桜魞挿し来たる舟へ降る        山田美恵子

 

あめんばう水のほころび縫ふやうに    大東由美子

 

歌ひつつあをさ拾うてゐる女       西村 節子

 

花屑のしづもる上を花片疾し       松井 倫子

 

ハンカチーフさらりとこはきこと言へり 坂口夫佐子

 

あるなしの風も落花も撮りにけり     尾崎 晶子

  

実梅捥ぐ朝の光をちょとひねり      小林成子

              

畑隅の裸火八十八夜寒          五島 節子

 

糞ひとつして囀の枝うつり        上林ふらと

 

要るものは葉書八十八夜かな       山路 一路

 

臥す母に春ストーブの消えしまま     大内 鉄幹

 

 

今月の作品鑑賞

            山尾玉藻              

 牡丹の切り落とされし余白かな      湯谷  良

 「牡丹」は馥郁とした香を漂わせる豊艶な花。その盛りの一花が剪られ、其処だけぽっかりと空白となっていたのです。作者はそれを「余白」と捉え、其処に咲いていた牡丹の美しさを想像しているのでしょう。この「余白」の意識に俳人としての矜持が自ずと窺い知れます。

 姿見を運び入れけり春障子       蘭定かず子

姿見を運び入れた事実と「春障子」の具象を示しただけで、眼目とするところは読者に放り投げています。このそっけなさこそが俳句的骨法。あなたはこの春障子を外から眺めますか、それとも部屋内に座して障子を眺めますか。

 チューリップ己が重さに気づき初む   藤田 素子

最盛期が過ぎたのか、それとも水が足りないのか、俯き加減で突っ立っている気の毒なチューリップです。作者はそれをチューリップ自身が己の花の重さに漸く気がつき始めたのだと見て取りました。エスプリの効いた一句です。

 水音のこの星に籾蒔いてあり      松山 直美

勿論「水音のこの星」とは地球を敢えて述べたものです。何故改めてこう感じたのでしょうか。籾が蒔かれてある景と何処からともなくする水音に、豊かな水に恵まれつつ歴々と続けられてきた農耕により、自分たちの現在があることを強く意識したからでしょう。

 夕桜魞挿し来たる舟へ降る       山田美恵子

淡海の花どきの夕景を描くのに、これほど的確な焦点の搾り方は他には無いと言っても過言ではないでしょう。

夕霞む沖には差し終えてきた魞がぼんやり浮かび上がり、ひと仕事を終えた舟に桜が静かに散るばかりです。

 あめんばう水のほころび縫ふやうに   大東由美子

言われてみれば、水馬は水面を右へ左へ曲折しつつ移動していますが、まるで水馬にだけ見える何かの間を縫って跳んでいるようです。その何かを作者は「水のほころび」と喩えたのです。なかなかユニークな一句です。

 歌ひつつあをさ拾うてゐる女      西村 節子

本来「石蓴」は岩に着生しますが、掲句の石蓴は浜に打ち上げられたものでしょう。点々と浜にあがった石蓴の鮮やかな緑が美しく、それを女性が何か歌いながら拾ってゆく光景もとても大らかで、好印象の一句です。

 花屑のしづもる上を花片疾し      松井 倫子

この句を読んで、同じ桜の花びらでも「花屑」と呼ばれるものと「花片」と呼ばれるものの相違をしみじみと感じ、同時に命あるものの成りゆきをも考えてしまいました。

 ハンカチーフさらりとこわはきこと言へり 坂口夫佐子

この「ハンカチーフ」は色や柄のハンカチではなく真っ白、そしてその持ち主も涼やかな美人であったことでしょう。さて、さらりと言ってのけた「こはきこと」とはどのような内容だったのでしょうか。

 あるなしの風も落花も撮りにけり    尾崎 晶子

この「落花」は風とも言えないほどの風に誘われた花びらだったのでしょう。レンズ越しに美しい落花は勿論のこと、あるかなしかの風も見逃さなかった作者です。

 実梅捥ぐ朝の光をちよとひねり     小林 成子

朝の日差しの中で青梅を捥いでいるのは第三者でしょう。梅の緑に染まる指先が梅の実を少しひねり加減に捥いだのです。それを「朝の光をちよとひねり」と妙味ある捉え方をして、青梅の摘果風景を瑞々しく描きました。 

畑隅の裸火八十八夜寒         五島 節子

綺麗に整えられた畝に青菜の苗が育ち始めた畑の隅で、誰かが何かを燃しているのでしょう。覆いなど無く地面から直に立ち上る炎はどこか頼りなげです。そんな「裸火」だからこそ、作者に「八十八夜寒」というちょっとした季節の後戻り感を覚えさせたのでしょう。

 糞ひとつして囀の枝うつり       上林ふらと

見ていると小鳥は何か動きを始めると同時にふっと「糞」をすることがありますが、それは小鳥がちょっと力む瞬間なのかも知れません。そう考えると、「枝うつり」も小鳥なりに力を入れているのでしょう。微笑ましい春の寸景です。

 要るものは葉書八十八夜かな      山路 一路

凌ぎやすい気候でもある「八十八夜」は心身ともに軽やかな気分となるものです。作者もそんな気分となり、久しぶりに誰かに便りをしてみたくなったのでしょう。「要るものは葉書」の言い放ちがとても快く、表現も内容も非常に八十八夜に適っています。

 伏す母に春ストーブの消えしまま    大内 鉄幹

 床に臥す母の為のストーブを、温かくなった日中に誰かが切り、そのままになっていたのです。寒さが戻った今、慌ててスイッチを入れる作者の胸中が窺い知れます。いかにも「春ストーブ」らしい句ですね。