2021.8月
主宰句
対岸の菅貫へ舟押し出せり
をりからの風の鴇いろ夕祓
厠窓より向日葵の夜の貌
蠅叩刀自がしづかに引き寄せし
雲の峰即身仏は金召され
蝶の舞ふ柄の寝茣蓙に寝付かれず
放下せし夢より覚めてゐし寝茣蓙
熱帯魚ヤマト宅急便で来し
この暑押し来し拡声器より軍歌
山姥の挿椿らし霧らひきし
巻頭15句
山尾玉藻推薦
紺碧は空に野ばらの白は地に 髙松由利子
まくなぎの塊となり魂となり 山田美恵子
とんがつてゐる俎の鬼虎魚 蘭定かず子
つくづくと籠り居の貌蟇 松山 直美
黄菖蒲をすべり出できし船頭唄 坂口夫佐子
なんとなく母に触れもし更衣 湯谷 良
早起きが霞隠れに音立つる 高尾 豊子
てつぺんの巣立にぎはふ松の影 今澤 淑子
赤潮へ分け入る船の唸りけり 五島 節子
濁流を見下ろす駅の巣のつばめ 小林 成子
到来の鮎のしかじかながながし 西村 節子
ややあつて夏草に伏す訓練犬 根本ひろ子
水先の置き去りにせし花藻かな 大東由美子
青梅の青の領域晴ればれし 山路 一夢
ビルの間の空のきれいな端午かな 藤田 素子
今月の作品鑑賞
山尾玉藻
紺碧は空に野ばらの白は地に 髙松由利子
自然界の美を象徴する二物を捉え、スケールの大きな世界を僅か十七文字で描き出しています。また同時にどこか憂愁が漂っている世界とも感じられます。<憂ひつつ岡にのぼれば花いばら>と詠んだ蕪村を思い出すからでしょうか。恐らく彼も丘に立ち、掲句のような景に遭遇したのではないでしょうか。客観写生の力を改めて思わせる一句です。
まくなぎの塊となり魂となり 山田美恵子
まくなぎの群がぐっと大きくなった瞬間を「塊」と捉えたのは、それを厄介な対象と見なすごく普通の眼差しが働いた所以でしょうが、否そうではなく「魂」かも知れぬと捉えた所に詩が生まれたのです。常識にとらわれず、その一群も渾身の生命体であると見た客観的眼差しが呼んだのが「魂」の一語なのでしょう。しかし「塊となり魂となり」との表現に、常識との間を揺らぐ作者の思いも窺い知れ、その点からいかにも人間的な一句とも言えるでしょう。
とんがつてゐる俎の鬼虎魚 蘭定かず子
全身が凸凹とグロテスクで猛毒のある固い棘を持つ「鬼虎魚」の姿は醜悪です。俎の上で捌かれる寸前までその醜態ぶりを曝け出しているのですが、作者にはその様子が虎魚が虚勢を張っているように思えたのでしょう。思わず口を突いて出たような「とんがつてゐる」がとても愉快です。
黄菖蒲をすべり出できし船頭唄 坂口夫佐子
花菖蒲の頃に仕立てられる観光用の舟でしょう。花菖蒲は色とりどりですが、声を張る「船頭唄」には明るい「黄菖蒲」が相応しく思え、「すべり出できし」の措辞からもこぶしを効かせた船頭唄であったのだろうと想像させます。
なんとなく母に触れもし更衣 湯谷 良
「更衣」は身もこころも軽やかにします。「なんとなく」の表現にはそんな嬉しさで浮き立つ思いが籠められていて、その思いから自然に出た行為が「母に触れもし」なのです。温かな味わいのある作品です。
早起きが霞隠れに音立つる 高尾 豊子
作者が言う「早起き」は御主人でしょう。霞がかった所で早くも何か作業をされているのでしょう。最近稲作を止められたと聞き及びますが、それでも働き者のご主人はじっとしてはおられないのでしょう。
てつぺんの巣立にぎはふ松の影 今澤 淑子
落葉樹の影に比べると常緑樹の「松の影」は変化に乏しいと言えるでしょう。でもその「てつぺん」に鳥が巣をつくり、それも「巣立ち」を迎えるようになると、その影に色々楽しい変化が生じることでしょう。松の常ならぬ影に興味を抱いたところにこの作者らしいユニークさを感じます。獅子座作品<生上布の折目を滑る裁ち鋏>、母は「着物の生地に鋏を入れる時ほど緊張することはない」とよく言っていました。その点、この「裁ち鋏」の人物は仕立ての玄人なのでしょう。まして「生上布」は最高級の麻織物です。爽やかな緊張感と截ち鋏の音が真っ直ぐに伝わってくる一句です。
赤潮へ分け入る船の唸りけり 五島 節子
愛媛の海近くに住む作者から「赤潮発生です」と海辺近くが真っ赤になった写メールが届き、即、私が「ではそれを是非詠むべきです」と返し、そこで成ったのが掲句です。赤潮へ突っ込んでいった船のエンジンはひときわ高鳴ったことでしょうが、それを「唸りけり」の五文字で明白に伝えています。
水先の置き去りにせし花藻かな 大東由美子
この「水先」を水先人或いはその人が乗る船と鑑賞することで、一句から静と動の世界がイメージされてきます。船が暫く辺りを騒がせて行った後、激しく揺れていた「花藻」も今は静かに咲くばかりです。やや意図的表現でもあるような「置き去り」が功を奏し、花藻の静寂さを高めているからでしょう。
青梅の青の領域晴ればれし 山路 一夢
盛んに繁った梅の葉蔭で実を結ぶ梅の一樹は、其処だけにしか感じられない初々しさと喜びを漂わせているものです。掲句、そんな実梅だけが創造し得る世界を僅か十七文字に託して余すところなく伝えています。殊に畳みかけるような下五「晴れ晴れし」が読み手のこころをぐっと摑んで離しません。
ビルの間の空のきれいな端午かな 藤田 素子
作者は私と同じ大阪の高層ビルの団地の住人です。大阪の夜空も見とれるほど青々と美しい時もあり、「端午」が所を得てすっきりと一句を纏めています。