2022.10月
主宰句
処暑雨の机にひろげ書の二三
毛馬堤眺むるならひ扇置く
江山と地つづきに濡れ蛍草
(江山とは大江山)
吾亦紅本意なき紅と揺れもして
夜つぴての風でありしか吾亦紅
流星のひとつは砕け星の砂
馬の尻張り詰めゐたる厄日かな
昼もまた菜虫とりゐし前屈み
鉄階が地下へかりがね寒きころ
ちがひ矢の女紋の背月上る
巻頭15句
山尾玉藻推薦
くるぶしも夏花の籠も濡れてゐし 蘭定かず子
黒揚羽行く先々の水明り 山田美恵子
涼み台風の重さの出できたり 坂口夫佐子
癇癪玉投げ手花火に加はらず 湯谷 良
腰より入りし潮騒のハンモック 大東由美子
向日葵と男の子ふたりが越して来し 小林 成子
灯ともして世を隔てゐる雨簾 松山 直美
はんざきの己が泡を追ふまなこ 五島 節子
中空へチワワ吠えては風死せり 藤田 素子
露草を来しをみな子にとび付かる 今澤 淑子
耳うつろなるも安らか生身魂 安積 亮子
峰雲や軒に凭るる古畳 福盛 孝明
なめくぢに葉裏を離れざる力 尾崎 晶子
紀の国の方に二座立つ雲の峰 鍋谷 史郎
涼風の野面を渡る鎌の音 小野 勝弘
今月の作品鑑賞
山尾玉藻
くるぶしも夏花の籠も濡れてゐし 蘭定かず子
盆前に草花が露を結ぶことは稀であり、恐らく雨後の「夏花」摘みなのでしょう。気付くと「くるぶし」も「籠」も草花に留まる雨粒で濡れていたのです。ご先祖を迎えるしっとりとした情味が伝わってきます。
黒揚羽行く先々の水明り 山田美恵子
蝶が水を吸うのは体温調整の為とか栄養補給の為とか諸説あるようですが、この「黒揚羽」も水を求めて舞ってゆくのでしょう。「行く先々の水明り」の措辞により、作者が眩し気に蝶の行方を暫く見詰めていたのが伝わってきます。
涼み台風に重さの出できたり 坂口夫佐子
作者は「涼み台」で風を楽しんでいたのですが、徐々にその風に「重さ」を意識し始めています。風の重さとは即ち雨意を孕んだ風のことですが、それをまともに述べるのではなく、ワンクッション置いた表現をとったのです。
癇癪玉投げ手花火に加はらず 湯谷 良
花火の一種「癇癪玉」は地面に叩きつけたり踏むと大きな音を立てて弾け、今はその危険性から製造されていないと聞きます。掲句は回想句でしょうが、手花火の輪に入らず「癇癪玉」を地面に投げ続ける子は、何かで気鬱なのか反抗期なのでしょうか。どこか寂しそうな背中を想像します。
腰より入りし潮騒のハンモック 大東由美子
私には小学生の臨海学校で「ハンモック」で寝た経験があります。それまで憧れでいたハンモックでしたが、あんなに不安定で寝心地の悪いものだとは知りませんでした。ハンモックの撓みに体を入れるだけでも大変でしたが、掲句の「腰より入りし」で今更に合点が行った次第です。
向日葵と男の子ふたりが越して来し 小林 成子
近所に男の子が「ふたり」いる一家が越してきて、庭に「向日葵」を咲かせています。折々聞こえる男の子たちの元気な声と明るさを放つ向日葵に、作者の毎日にちょっとした力と張りが生まれた様子です。
灯ともして世を隔てゐる雨簾 松山 直美
夜雨に「簾」を垂らした家内に籠る作者。灯を点すと簾の外の闇が一層濃く思えたのでしょう。そのこころの動きを観念的と思われがちな「世を隔てゐる」と捉えたのですが、この場合は実質が伴っていて共感を覚えます。
はんざきの己が泡を追ふまなこ 五島 節子
「はんざき」は円らな可愛いい眼をしています。掲句、自分の身から生まれた「泡」を見上げたとありますが、実際には少し眼を動かしただけかも知れません。どちらにしても、このように捉えるとはんざきが一層愛おしく思えてくるのは明らかでしょう。事程左様に、はんざきとは実にけったいで愛すべき生きものなのです。同時発表の獅子座作品<青龍のひげ引き初むる走馬灯>、「走馬灯」の廻り始めを読者の視覚まかせにした点がとても達者です。
中空へチワワ吠えては風死せり 藤田 素子
「チワワ」ほど華奢な犬は他に無く、吠え立てても余り手応えがあるとは言えません。まして「中空」へ抜けるその声ならいよいよ心許なく、「風死せり」の季語との取り合わせも必然的と感じられます。
露草を来しをみな子にとび付かる 今澤 淑子
女の子は美しい「露草」をしゃがみ込んでじっと眺めてきたのでしょうか、それとも摘み取った露草をしっかりと握っていたのでしょうか。作者はとび付いてきたその子の身がどこかしっとりとしているのに気づいたことでしょう。
耳うつろなるも安らか生身魂 安積 亮子
実際に聴覚に衰えを覚える作者かも知れません。しかしそこには「耳うつろなるも安らか」には、世の中には聞かなくて良いことが多々あると言う達観した思いが籠められており、それを見逃すべきではないでしょう。
峰雲や軒に凭るる古畳 福盛 孝明
昔は梅雨が明けると町内挙って大掃除をしたもので、畳を捲った湿気た匂いも懐かしく思い出されます。掲句、昔からの倣いで今も畳を天日に干す景なのでしょう。「古畳」とは対照的なエネルギッシュな「雲の峰」とのモンタージュで、畳のへたれ加減がまざまざと目に浮かびます。
なめくぢに葉裏を離れざる力 尾崎 晶子
作者は「葉裏」の「なめくぢ」を嫌い、何度も振り落とそうとしているのですが、どっこいなめくじの粘着力の方が勝っているのです。中七下五の表現が愉快です。
紀の国の方に二座立つ雲の峰 鍋谷 史郎
「雲の峰」の数え方が「座」であることを初めて知りました。掲句、「紀の国」の固有名詞も「二座」のほど合いも十七文字にぴたりと嵌り揺るぎがありません。立句的な一句と言えるでしょう。
涼風の野面を渡る鎌の音 小野 勝弘
早朝の草刈の「鎌の音」でしょうか。眼前に広がる野原の何処からか聞こえるその鎌音は、軽やかでリズミカルだったことでしょう。野原を渡ってくる「涼風」が想像を膨らませます。表現同時発表の<一、二本の向日葵近所明るうす>、「向日葵」に健康的な明るさを捉えていて、先に揚げた小林さんの句と通じる心性が感じられます。