2022.1月
主宰句
峡晴や鶏の蹴散らす今年藁
この辺の闇のやはらか戻し藁
ほとけ名の山の眠りの浅からず
隠し田に匂ふ切藁小六月
段畑のそれぞれ違ふ冬菜かな
笹鳴や赫き崖つつ立つる
献血の呼び声攫ふ冬将軍
見つめられがくと崩れし榾火かな
猪鍋屋二階何やらもめてをり
角打ちに朝日の射せる年の暮
巻頭15句
山尾玉藻推薦
十三夜見送りもせず帰したる 山田美恵子
道ひとすぢ伊根を出でゆく秋意かな 湯谷 良
軽トラの来てめくりあぐ稲雀 坂口夫佐子
預かりし霜のにほひのハンチング 蘭定かず子
昼の虫一筆箋の二枚目に 西村 節子
星ひとつ上げてほかなし鉦叩 小林 成子
刈田踏み足裏想ひ出ししこと 窪田精一郎
葉の裏へ表へ裏へ秋の蟻 藤田 素子
秋天にペンキ塗りゐし命綱 高尾 豊子
日矢うけて神の色なる実紫 林 範昭
担ぎ手の四五人波に浦祭 上林ふらと
水脈曳いて出奔のごと鴨一羽 永井 喬太
境内を舞ひゆく羽毛冬隣る 山路 一夢
亡き母の鳴らす風鈴秋のゆく 五島 節子
鶏頭の種かき落とし供へけり 垣岡 暎子
今月の作品鑑賞
山尾玉藻
十三夜見送りもせず帰したる 山田美恵子
帰って行く子を今日に限って見送らなかった作者でしょうが、「十三夜」を仰ぎながら急に送らなかった事を悔やんでいます。十三夜の月は冷や冷やとした美しさを湛えており、その冷ややかさが悔いに繋がったのでしょう。この細やかな感性に共鳴します。
道ひとすぢ伊根を出でゆく秋意かな 湯谷 良
舟屋で知られる「伊根」は湾に添って海に最も密着して暮らす地と言えますが、漁船が出払っている所為なのか昼間は人の気配が殆どありません。後ろに豊かな森を背負う軒並みが途絶えた途端、急に寂しい単なる海沿いの景となります。そんな伊根の様子を中七までが確かに捉えていて、この「秋意」は実感が伴っており、その点で真意があります。
軽トラの来てめくりあぐ稲雀 坂口夫佐子
稲田を見回りに来た「軽トラ」が止まった途端、稲田から「稲雀」達が一斉に飛び発ったのです。「めくりあぐ」の措辞で、稲田一面に来ていた雀たちの素早い動きを巧みに表出しています。
預かりし霜のにほひのハンチング 蘭定かず子
誰かの「ハンチング」を預かった作者ですが、字面通りそれが「霜」の匂いがしたと解さない方がよいでしょう。それが少し湿り加減で、帽子の主がその日降った霜を踏んできたことを思ったからでしょう。
昼の虫一筆箋の二枚目に 西村 節子
「一筆箋」を認める作者ですが、あれこれ書くうちに「二枚目に」及んだのです。形式ばった内容ではなく、こころを籠めて筆を運ぶ作者が思われ、ほのぼのとしてきます。「昼の虫」が静かな昼を伝えています。
星ひとつ上げてほかなし鉦叩 小林 成子
「星ひとつ」は金星、「ほかなし」とは他の星々はまだ輝かず、この「鉦叩」は夕闇に鳴き続けているのです。しかしその闇も直ぐに宵闇へと移って行き、鉦叩の声がいよいよ健気にひびくことでしょう。
刈田踏み足裏想ひ出ししこと 窪田精一郎
掲句によって読み手も同じことを思い出すでしょう。幼い日の「足裏」をごつと突き上げた稲の切株のあの感触です。そして各々はその感触から次々とあの頃を思い出すことでしょう。大いに共感を呼ぶ一句です。
葉の裏へ表へ裏へ秋の蟻 藤田 素子
イソップ童話『蟻とキリギリス』でお馴染みの「秋の蟻」は冬に備えて懸命に餌を蓄えます。掲句の蟻も、「葉の裏へ表へ裏へ」のリズミカルで簡潔な表現で、蟻がいかにも忙しそうに動き回っているのが鮮明に見えてきます。一読して見えて来る俳句は強いのです。
秋天にペンキ塗りゐし命綱 高尾 豊子
「命綱」を体に縛り付けた人物が、建物の壁を塗っているのでしょうか。余りにも高い場所での作業に、作者は「秋天にペンキ塗りゐし」とややオーバーに表しました。しかしこの表現により作者の驚きが直接伝わってきます。
日矢うけて神の色なる実紫 林 範昭
流石に絵を嗜まれる作者らしく、印象的な美しい景を見事に一句に集約されました。海外では「日矢」を天使の階段と呼び、神々しい現象と捉えますが、なるほどと我々にも納得できる思考です。そこで「神の色なる」の断定にはたと膝を打ち、全く異論なしです。
担ぎ手の四五人波に浦祭 上林ふらと
この景、潮で禊をする祭神輿ではなく、砂浜で祭神輿がつい勢い余って海へ傾いたのでしょう。「四五人波に」で一句にビジュアル効果を上げ、「浦祭」らしい荒々しい景を見落とさない者の眼力が思われます。
水脈曳いて出奔のごと鴨一羽 永井 喬太
早暁、一羽の鴨が葭叢を滑り出て、静かに水脈を引き始めました。辺りは薄暗くまだ他の鴨の姿も無く、作者は思わず武士が行方を眩ます「出奔」のようだと感じたのです。この喩えに、読み手もついその鴨の行方に目を凝らすこととなります。
境内を舞ひゆく羽毛冬隣る 山路 一夢
辺りを「羽毛」が舞ってゆく景に、作者が「冬隣る」を覚えたのは、他でもない其処が「境内」だったからです。それは、境内の広大な領域には摂社や末社があり、それぞれに神が鎮座されるという厳かな意識を作者が抱いた由縁でしょう。その意識が冬を迎えねばならないというこころ構えに繋がったに違いありません。
亡き母の鳴らす風鈴秋のゆく 五島 節子
秋も終りの頃、作者は亡き母を偲んでいたのでしょう。折も折、軒の風鈴が鳴り、作者にはそれが自分の思いに応える母の声に聞こえたのです。「亡き母の鳴らす風鈴」の直截的表現に深い思いが籠められました。
鶏頭の種かき落し供へけり 垣岡 暎子
芥子粒のような「鶏頭の種」が仏壇に零れると本当に難儀です。「かき落し」の強い表現に「零して成るものか」と言う強い意思が感じられる愉快な一句です。