2022.4月
主宰句
臘梅の暮れどき父が腰上ぐる
啓蟄の日射すダ・ヴィンチ人体図
堂裏は春遅れゐし蛸薬師
遠つ地は夜つぴての雪梅ふふむ
涅槃絵の鬼の泣くゆゑ黴くさし
是非もなく渦巻くところ春の水
桃咲いて昔日にほふ村に入る
鳥雲に入るや地蔵の厚化粧
おつつけ来む人も数へつ蓬餠
飲食に口汚しゐて亀の鳴く
巻頭15句
山尾玉藻推薦
書初のやがて始まる日の畳 蘭定かず子
泥靴を荷台へもどす夕焚火 坂口夫佐子
両膝より畳ひろごる夜寒かな 湯谷 良
藁笣に鯉の息ある寒の月 山田美恵子
凍滝の閉ぢ込めてゐし山のこゑ 五島 節子
梅ごよみをさなの歌ふひとつ歌 今澤 淑子
枯柳風の面影残しつつ 永井 喬太
リビングの壁のわが影松の内 小林 成子
山が山に恋する神代初日影 根本ひろ子
泣き声のやうな風音餠に罅 河﨑 尚子
山の水沸かす鉄鍋世継榾 窪田精一郎
年酒酌む吾の「獺祭」と子の「作(ざく)」と 鍋谷 史郎
読初の縹いろなる野草集 松井 倫子
鴛鴦の雄どう見ても余りをり 藤田 素子
ひらかなの易し難し歌かるた 安積 亮子
今月の作品鑑賞
山尾玉藻
書初のやがて始まる日の畳 蘭定かず子
この畳の間、敷き伸べられた毛氈に日が存分に当たるばかりで、まだ人の気配が感じられません。今に「書初」の人々が集い、墨の香が漂うことでしょう。書初そのものの景ではなく少し外した詠みぶりで、新年らしい慶ばしい静寂さを伝えています。
泥靴を荷台へもどす夕焚火 坂口夫佐子
蓮根掘りの作業、或いは池浚えの鯉揚げの作業が終わったのでしょうか。トラックの荷台に戻された「泥靴」が作業の厳しさを伝えています。読み手も寒々しい思いとなりますが、夕闇に浮かぶ焚火の焔に救われる気がします。作り手と読み手が一体となってこそ句に臨場感が生まれます。
両膝より畳ひろごる夜寒かな 湯谷 良
「畳」を主眼にした独自の措辞が印象的で、一読して寒々とした夜の畳に正座している作者が見えてきます。「両膝より」の出だしは作者の膝頭の冷えを先ずは伝え、続く「畳ひろごる」で広い部屋に一人で正座している孤独感をじんわりと訴えています。
藁笣に鯉の息ある寒の月 山田美恵子
寒見舞いに行く夜の道中吟。土産にと水揚げしたばかりの「鯉」を藁で包み、それがずしりと重いのでしょう。重いが故に「鯉の息」を意識する作者なのです。
凍滝の閉ぢ込めてゐし山のこゑ 五島 節子
山中、「凍滝」の辺りはおそろしいほど静まり返っていたのです。余りにも荘厳な凍滝の姿に、作者は山中の全ての音が滝と共に氷って仕舞ったのだと言い切っています。この感覚、なかなかに読み手を魅了します。
梅ごよみをさなの歌ふひとつ歌 今澤 淑子
梅の蕾のほころびに喜びを覚えていた作者ですが、先ほどから同じ唄を繰り返す幼い子の歌ごえに、いよいよ春の到来を実感しているのでしょう。「梅暦」は、四季の微妙な移ろいに繊細に反応する日本人の美意識から生まれた素敵な季語の一つと言えます。
枯柳風の面影残しつつ 永井 喬太
葉が散り果てた柳の枝は、今は無風の中でだらりと垂れ下がっています。しかし作者はその枝振りから、青柳の頃の涼やかな風を思い出しているのです。対象が「枯柳」だけに見えない風を見ている作者の視線に揺るぎが無く、同時に「風の面影」の措辞の巧みさにも大いにこころ惹かれます。
リビングの壁のわが影松の内 小林 成子
家内にする自分の影など普段なら意識しないでしょうが、「松の内」の穏やかな境地がそれを意識させたのでしょう。心落ち着く「リビング」の壁に映える自分の影に、作者はあらためて静かな充足感を抱いたに違いありません。
山が山に恋する神代初日影 根本ひろ子
川を挟んで相対する山を「背山」「妹山」と称しますが、身近なところでは奈良県吉野川を挟む南岸北岸の妹背山があります。妹背山は歌枕として恋歌に度々詠まれてきましたが、山々が生まれた「神代」の時代から男女の恋ごころは不変の真理なのでしょう。掲句はそんな永劫の真を詠み込み、「初日影」の目出度さで祝祭性豊かな一句となっています。
泣き声のやうな風音餠に罅 河﨑 尚子
「泣き声のやうな風音」とは、寒風が窓の隙間を洩れ来るような風音なのでしょうか。そんな悲し気な風音に呼応するように「餠に罅」が走っているのでしょう。繊細な感覚が二物をひとつにしました。恒星圏作品<手袋のまま涙ふく阪神忌>もインパクトある作品です。あの極寒での阪神淡路大震災から二十七年の歳月が流れましたが、こころの傷はそう簡単に癒されるものではありません。火星の仲間の多くも罹災されましたが、「手袋のまま涙ふく」の生の表現がずしんと胸を打ちます。
山の水沸かす鉄鍋世継榾 窪田精一郎
年の夜、作者は雪山で山の仲間達と夜通し榾灯を絶やさず新年を迎えるのでしょう。赤々と燃える榾の上の無骨な「鉄鍋」に滾るのは、雪を溶かし濾過した貴重な「山の水」なのです。極寒の雪山の闇に浮かぶ「世継榾」は尊くも美しく、こんな「世継榾」もあるのだと再認識させてくれる一句です。
年酒酌む吾の「獺祭」と子の「作(ざく)」と 鍋谷 史郎
ご子息と久しぶりに盃を交わそうと、作者が用意した年酒の銘柄は俳人らしく「獺祭」、ご子息も同じ思いで下げて来られた銘柄は「作(ざく)」。ただそれだけを述べている一句です。しかし山口と三重の名酒は共になかなかの名酒、またその銘柄のひびきも快く、平明な句ながら新年を寿ぐこころ踊りが伝わってきます。
読初の縹いろなる野草集 松井 倫子
「縹いろ」のカバーで覆われた「野草集」、もうそれだけで大いに興味が湧いてきます。「読初」の書に「野草集」を選んだ点と、それが縹色であるという静かな主張に、いつも控えめな人柄の作者らしさが窺えます。
鴛鴦の雄どう見ても余りをり 藤田 素子
最近は「鴛鴦」の世界でも女性有利、男性があぶれ気味なのでしょうか。美しく着飾っているような鴛鴦の「雄」だけに可笑しさと哀れさが混在する一句です。
ひらかなの易し難し歌かるた 安積 亮子
「歌かるた」の仮名文字ばかりの読み札は、見た目も美しく読み易すいものです。しかしこの句の読み札は変体仮名混じりで記されていたのかも知れません。ストレートな「易し難し」がなかなか的確で、困惑気味の作者の様子が想像されてきます。