2022.7月
主宰句
桐咲ける頃たれかれの優しくて
金魚田のそよぎ田水へ移りけり
水甕の花おもだかは母のもの
ほととぎす夜闇疑ふ声を張り
草ぼたる小児病棟寢ねずをり
夕焼へ唄ふよ母のをさな声
警策のひびきに井守くつがへる
老鶯のこゑに傾げる力石
薔薇剪られ朝日まづしくなりにけり
舟形のトマト花火のやう盛らる
巻頭15句
山尾玉藻推薦
田の茣蓙に昼餉のふたり山ざくら 蘭定かず子
死に顔を覗いて来たる夜の桜 五島 節子
ましづかに水落ち合へる花筏 根本ひろ子
水舐むる耳ぴと動く仔猫かな 坂口夫佐子
この部屋の消毒くさきシクラメン 山田美恵子
くにうみの島影あをき抱卵期 松山 直美
嬌声にはがれ落ちけり紫木蓮 藤田 素子
しやぼん玉もらひ泣きして空を見て 高尾 豊子
後ろ向きに貨車動き出す杉の花 湯谷 良
花筵ベビーカーより這ひ出でし 小林 成子
鈍行に乗り継ぎ花の山ふところ 大東由美子
消防士の手繰るロープに蝶来る 鍋谷 史郎
父ならば概ね可なる初音なり 西村 節子
青空を疎める色に桜の実 今澤 淑子
風紋の走る八十八夜寒 松井 倫子
今月の作品鑑賞
山尾玉藻
田の茣蓙に昼餉のふたり山ざくら 蘭定かず子
田圃の真中に敷いた「茣蓙のふたり」は、桜見をしているわけではなく、耕しの作業の合間に「昼餉」をとっているのでしょう。遠景に「山桜」を据え、耕人たちのしばしの憩いの時を印象深く描いているのです。
死に顔を覗いて来たり夜の桜 五島 節子
誰かの通夜に出かけ、その人の「死に顔」に接してきた帰路、闇に浮かぶ「桜」に人間の散り時をつくづくと思う作者です。美しく咲き潔く散る桜に人の死を重ねるのは日本人特有の感慨なのでしょうが、「夜」の一語がその昂ぶりを巧みに鎮静させています。
ましづかに水落ち合へる花筏 根本ひろ子
「ましづかに水落ち合へる」は二つの小流れが音もなく合流する景で、一つとなった水面の「花筏」も崩れたり激しく流されもせず、静かに漂っているのでしょう。それを眺める作者の眼差しも穏やかで、まるでそこだけが時の流れが止まったように感じさせます。
水舐むる耳ぴと動く仔猫かな 坂口夫佐子
「仔猫」であっても何かを察知する感覚は鋭いでしょう。この子猫も小さな舌で水を舐めながら、耳は微かな音を捉えた様子です。「ぴくと動く」ではなく「ぴと動く」が、不思議と小さな耳を想起させます。
この部屋の消毒くさきシクラメン 山田美恵子
二年にわたるコロナ禍の中、外に出れば至る所にアルコールポンプが設置され、今では消毒という特殊な行為に慣れてきた感があります。掲句の「部屋」もあらゆる所に消毒がなされたのでしょうか。辺りを明るくする筈の「シクラメン」が、「消毒くさき」と言われては面目丸つぶれです。
くにうみの島影あをき抱卵期 松山 直美
「くにうみの島影」とは淡路島の影。その影を「あをき」と感じたのは、無論国生みの神話に思いを馳せたからでしょう。また、折から「抱卵期」、親鳥が抱き続ける卵の命を思った静謐な心中が働いた「あをき」でもあるのです。
嬌声にはがれ落ちけり紫木蓮 藤田 素子
「嬌声」とは女性のなまめかしい声を指しますが、「なまめかしい」には「若若しい」「優雅である」「艶っぽく美しい」と三様の意味があります。しかし対象が「紫木蓮」であり、迷わずこの声は艶やかであだっぽい声であったと理解できます。逆に言えば白木蓮ではこの句は成立しません。「はがれ落ちけり」の表現も木蓮の花弁の散り様を的確に捉えています。
しやぼん玉もらひ泣きして空を見て 高尾 豊子
「しやぼん玉」を吹く子は二人でしょうか。でも一人の子は上手く吹けず遂に泣きだしたようです。それを見ていた子は、上手に吹いていたにも関わらず、つい「もらひ泣き」をし始めたのです。下五「空を見て」がいじらしさと微笑ましさを倍増しています。「俳句は下五で決まる」とはこのことです。
後ろ向きに貨車動き出す杉の花 湯谷 良
「貨車」を牽引する車両が最後尾に繋がれたことに気づかなかった作者でしょうか。予想していた方向と真逆の方へ貨車が牽引され始め、少し意外だったのでしょう。当てが外れた作者の眼に、茫々と花粉を飛ばす「杉の花」が一層鬱と映ったことでしょう。
花筵ベビーカーより這ひ出でし 小林 成子
「ベビーカー」の赤ん坊は「花筵」に興味津々です。母に抱き上げられるのを待ちきれず、自分からベビーカーを抜け出て、「花筵」を這い出したのです。周囲の大人たちの驚きようや慌てようが想像され、花どきの愉しい一景を句にしました。
鈍行に乗り継ぎ花の山ふところ 大東由美子
「鈍行に乗り継ぎ」から知れるように、遠路はるばる山中の桜に会いに行かれたのでしょう。「花の山ふところ」からも、山中の深さがしのばれ、花に抱かれた至福の時を持った作者なのです。
消防士の手繰るロープに蝶来る 鍋谷 史郎
「消防士」達が「ロープ」を使い救助訓練を行っている様子です。そこへ思いがけず「蝶」が来て、一瞬ロープに止まったか、止まったように思えたのでしょう。俳句を頭脳で処理していれば、こんな発想は生まれない筈です。「俳句は出会い」と言われる所以を証明するような一句です。
父あらば概ね可なる初音なり 西村 節子
生前の父上は鶯の「初音」にじっと耳を傾け、まだ拙い鳴き声にも満足気に目を細められていたのでしょう。作者は今年も「初音」を耳にし、父の温顔を懐かしく思い出しています。「概ね可なる」の表現により温かな可笑しみが漂います。
蒼空を疎める色に桜の実 今澤 淑子
「桜の実」は葉の影になり目立ちませんが、一センチほどで熟すと黒紫色になり、美しい桜の色とかなりギャップがあります。その葉隠れの鬱とした色あいから「碧空を疎める」と感受した点に共鳴します。
風紋の走る八十八夜寒 松井 倫子
風の砂丘に立っていると、「風紋」が次々と美しい変化を見せます。掲句、その風紋が「走る」とあり、かなり強風が砂丘を駆けているのでしょう。「八十八夜寒」には春の寒さへ少し後戻りしたような季感があり、やや翳りを覚えた作者の心境が伝わってきます。