2022.8月

 

主宰句

 

青蔦の館を夜風逆撫づる

 

日照り雨過ぎ神さぶる蛇の衣

 

栴檀木橋せんだんのきばしうすぎぬ吹かれゆく

 

縞笹のそよぎ囲ひの清水かな

 

風の日の風鈴売になるもよし

 

滅多なる音に倒れし巻き立簀

 

天領の地を朗々と花かぼちや

 

これはこれは出合ひ踏み合ひ蟻の列

 

水打つて生き死にのこと少し言ふ

 

怖ろしく尖る香水瓶の蓋

 

巻頭15句

            山尾玉藻推薦        

 

蛍にささやき声の残りたる       山田美恵子

 

側転を繰りだす腕緑さす        蘭定かず子

 

羽抜鶏ゐて睦まじき老いふたり     湯谷  良

 

ガード下のドラッグストア昭和の日   小林 成子

 

草いきれ押し分けゆきし白脚絆     五島 節子

 

おほかたは妻の言ひなり豆ごはん    森 好太郎

 

自販機を転がり出でし青葉寒      今澤 淑子

 

声変りせし子まだの子更衣       松山 直美

 

母の手の茶揉みの色の莚かな      高尾 豊子

 

大鷭の白き鼻筋遠眺め         西村 節子

 

一閃に鴉追ひ遣る夏燕         藤井 玲子

 

蕗剥けば音の消えゆく厨かな      尾崎 晶子

 

船笛と縺れてのぼる花ゑんどう     垣岡 暎子

  

スカートのスリットはちきれる薄暑   藤田 素子

 

竹林の昼の闇より余花の風       高松由利子

 

今月の作品鑑賞

         山尾玉藻             

蛍にささやき声の残りたる      山田美恵子

 「蛍」を近くにすると皆「ささやき声」となるのは不思議ですが、蛍の闇では人の囁きがよく聞こえるのもまた不思議です。だからと言って、作者の耳底にのこる他人の囁きは特別な内容ではなく、たわいない事だったのでしょう。闇に光る「蛍」が我々を優しく純な境地にしてくれるからでしょう。

側転を繰りだす腕緑さす       蘭定かず子

 「側転」は開脚した姿勢で両手を横に突いて一回転する動きで、両腕が何度もなんどもそれを繰り返した景を「繰りだす」と捉えたのです。「綠さす」が詩的要因となり、側転の景を美しく印象的なものにしています。

羽抜鶏ゐて睦まじき老いふたり    湯谷  良

 「羽抜鶏」の姿は滑稽で哀れですが、老いた鶏ならそれは尚更だろうと思います。しかし掲句、老いた鶏とは一切述べていませんが、「ゐて」の因果表現にそれが窺い知れるのです。羽抜鶏が近くに居るからこそ老夫婦が睦まじいという断定表現がなかなか巧みで、温かく慈しみあるウイットな一句となっています。

ガード下のドラッグストア昭和の日   小林 成子

 「昭和の日」の趣旨は激動の日日を経て復興を遂げた昭和時代を顧み将来を思う事にあるようですが、それを意識し過ぎるとつい追想に囚われがちとなります。その点、「ガード下」の懐かしさと「ドラッグストア」の新しさが「昭和の日」を過不足なくイメージさせます。

草いきれ押し分けゆきし白脚絆    五島 節子

 掲句の「白脚絆」は無論お遍路の「白脚絆」であり、バスツアーなどで巡る略装ではありません。「草いきれ押し分けゆきし」から、道なき道をも行くであろう巡礼の本来の厳しさと共に、巡礼者のゆるがぬ思いが伝わってきます。

おほかたは妻の言ひなり豆ごはん   森 好太郎

 病を得られた作者ですが、今は退院されて家で療養中と聞き及んでいます。病後を案じられる奥様から、なにかと注意される身となられたらしく、「妻の言ひなり」がとても微笑ましく思えます。それでも「おほかたは」とちょっと強がってみせる所に、作者の男としての意地が垣間見えます。

自販機を転がり出でし青葉寒     今澤 淑子

 飲料水の「自販機」はいずれも賑やかな音を立てる所為でしょうか、俳句では「暑さ」に関わる詠みをされ勝ちです。しかし、掲句が「青葉寒」としたのは、冷えた缶を取り出した一瞬の実感だったのでしょう。単なる冬の「寒さ」ではなく、青葉の時候の特徴でもある透き通るような冷えを捉えた点に、この作者の俳人としてのセンスが光ります。

声変りせし子まだの子更衣      松山 直美

 男の子の「声変り」は早くて小学生の終り頃、遅くて中学生の半ばごろでしょうか。下五を「更衣」で収めた点から、夏の制服に変った男の子達と行き合った折の涼やかな思いと、少し聞き耳を立てた好奇心も思われる楽しい句です。

母の手の茶揉みの色の莚かな     高尾 豊子

 毎年母上が「茶揉み」に使われる「筵」なのでしょう。年月を経て古び、少々草臥れた色をしているものの、作者にとっては母の健在を覚える嬉しい色をした筵なのです。

大鷭の白き鼻筋遠眺め        西村 節子

 普通よく見かける鷭は全身が黒く両目の間と嘴だけが赤色をして、一本に繋がっています。しかし「大鷭」のそれは真っ白です。遠目からその特長を「白き鼻筋」と捉えた点がなかなかユニークです。作者にはきっと瀟洒なイケメン鷭に見えたことでしょう。

一閃に鴉追ひ遣る夏燕        藤井 玲子

 夕べの景でしょうか。地を擦るように翻った「夏燕」に、地をのそのそとゆく徒鴉が驚いて飛び立ったのでしょう。なんとも快い光景を捉えました。何事をも見逃さない俳人の眼がここにあります。

蕗剥けば音の消えゆく厨かな     尾崎 晶子

 「蕗」はどこまでが皮なのかはっきり分からず、「蕗」の皮剥きをするとどこか遥かな思いとなるものです。「音の消えゆく」にはそんな感覚が籠められているのです。

船笛と縺れてのぼる花ゑんどう    垣岡 暎子 

 海を臨む畑の「花ゑんどう」でしょうが、時をり沖より聞こえる「船笛」で一句に独自性が生まれました。畑の寸景ながら、広やかで豊かな世界を創り出しています。

スカートのスリットはちきれる薄暑   藤田 素子

 この「スカート」は、脇に「スリット」の入ったタイトスカーとでしょう。すらりとした腿がちらりと見えてこそスリットの良さがあるのですが、このスリットに見えた腿はむっちりとしていて、作者には少々見苦しく思えたのでしょう。なるほど「薄暑」に納得です。

竹林の昼の闇より余花の風      髙松由利子

 昼も薄暗い「竹林」を吹き抜ける風に気づき、作者は竹林に目を凝らしたのでしょう。すると薄闇の向こうに遅咲きの桜を見つけたのです。竹林を介在に「余花」の趣を巧みに捉えた一句です。