2022.9月
主宰句
空蟬の爪ひしと立つ鵺の塚
炎帝のうち懐へ坂がかり
滅多なる音に倒れし巻き立簾
百年家円座ばかりが新しく
後ろ肢いつぽん畳み忘れ蟇
表キューピー裏省略の浮いてこい
鱧の皮なんぞおもろいこと言へと
信心の首太ぶとと田草取
秋口の宇治十帖の山かたち
日陰尊し首塚も露草も
巻頭15句
山尾玉藻推薦
男山背負うて出で来蝸牛 坂口夫佐子
藻刈せし疏水は音を正しけり 蘭定かず子
鶏の吹き寄せらるる青嵐 湯谷 良
松籟に煽られてゐし蛇の衣 山田美恵子
遠山を揺るがせ噴水落ちにけり 高尾 豊子
影おとし帰りどきなる茄子の馬 五島 節子
玉葱の竿のたわみの只ならず 西村 節子
姫女苑名が重たしとゆれゐたり 安積 亮子
アイスキャンディーの箱提げ男すぐ下車す 尾崎 晶子
不動尊まへの片蔭三輪車 小林 成子
山霧の雨となりきしさるをがせ 松井 倫子
もの言へば耳がさごそと油照 玉城 容子
炎帝へ何銜へ発つ痩せ鴉 今澤 淑子
この国の闇のたふとし蛍舞ふ 藤田 素子
いつまでも若き母子像ねぶの花 石原 暁子
今月の作品鑑賞
山尾玉藻
男山背負うて出で来蝸牛 坂口夫佐子
単に「男山」を後方にして何処からともなく這い出てきた「蝸牛」を見て、意識的に「男山背負うて」とデフォルメしたのです。この意識がなければ平凡な句柄となったかも知れず、写生の手段をとりながら、心の働き即ち心の写生へと繋がっている真の写生句と言えます。
藻刈せし疎水は音を正しけり 蘭定かず子
暑い盛りの「藻刈」は重労働でしょうが、地域の水を守ろうとする意識は貴重です。「疎水」もその意識に応えるかのように本来の涼やかなせせらぎを取り戻したのです。「音を正しけり」の措辞が的確に働いています。
鶏の吹き寄せらるる青嵐 湯谷 良
時に「青嵐」はかなりの強風となります。のんびりと放し飼いにされている「鶏」達もそれには踏ん張り切れず、庭隅にでも吹き寄せられているのでしょう。鶏達のちょっとしたパニック状態が明るく浮かび上がるのは、「青嵐」が青葉若葉の瑞々しさを大いに伝えているからでしょう。
松籟に煽られてゐし蛇の衣 山田美恵子
掲句も「蛇の衣」に風がやや強く吹いていますが、それが「松籟」である点が大きなポイントです。松を抜けてくる風を孕む蛇の衣が光輝を放っているように感じるるのは、我々が松に気高さや気品を覚えるからでしょう。
その点で松籟が揺るぎない働きをしている一句なのです。
遠山を揺るがせ噴水落ちにけり 高尾 豊子
高々と気負う「噴水」が不意に落ちる際、大量の水が烟るように落下します。この場合も、落下する水の勢いで後方の「遠山」が一瞬烟ったように見えたのでしょう。その景を直截的に「遠山を揺るがせ」と述べた点に大いに共鳴します。
影おとし帰りどきなる茄子の馬 五島 節子
心置きなくご先祖を祀り終えようとする盆の三日目を述べるのに、「帰りどきなる茄子の馬」とは実に巧みな表現です。また茄子の馬に「影おとし」と捉えたのは、作者自身の仏達との別れを惜しむ境地が働いたもので、それを茄子の馬に託した点もなかなか好もしく思います。
玉葱の竿のたわみの只ならず 西村 節子
ふと目にした玉葱小屋の景でしょう。数多の玉葱の重みで撓む竹竿が、今にも音を立てて折れんばかりだったのです。「只ならず」の措辞で臨場感を高めました。
姫女苑名が重たしとゆれゐたり 安積 亮子
「姫女苑」はマーガレットを小さくしたような2センチほどの花で、素朴で楚々とした野花です。しかし漢字で書くと「姫女苑」となり、そのイメージと随分かけ離れています。そのギャップを楽しく捉えているのです。
アイスキャンディーの箱提げ男すぐ下車す 尾崎 晶子
作者が乗る電車に「アイスキャンディーの箱」を提げた男性が乗って来て以来、作者は箱の中身が溶けないかと気が気でなかったのです。しかし「すぐ下車す」に作者の安堵感が窺え、くすっと笑える一句です。因みに、大阪では北極のアイスキャンデーか551蓬莱のアイスキャンディーが主流で、箱を見ただけで中身が解ります。
不動尊まへの片蔭三輪車 小林 成子
「不動尊」の門前の「片蔭」に「三輪車」が乗り捨てられています。唯それだけの事ですが、何処となく微笑ましい雰囲気を醸し出す景に心惹かれます。
山霧の雨となりきしさるをがせ 松井 倫子
「山霧」の中の「さるおがせ」は露を宿し、それなりに興味を引く対象であったのでしょう。しかし霧が「雨」に変ると、それは唯々おどろおどろしく垂れ下がるばかりで、作者の興味も急に萎えてしまったことでしょう。
もの言へば耳がさごそと油照 玉城 容子
何が原因で「耳」が「がさごそ」と鳴ったのかは不明ですが、季語「油照」が不愉快さを否応なく募らせます。
炎帝へ何銜へ発つ痩せ鴉 今澤 淑子
炎天下、鴉が何か咥えて飛び発った一瞬を、この作者らしい捻った捉え方をしています。「炎帝」にかしずく余り痩せ細ったのだと言わんばかりの「痩鴉」にも、独創的発想が垣間見えます。
この国の闇のたふとし蛍舞ふ 藤田 素子
我々の国日本を敢えて「この国」と表現したのは、戦時下にあるウクライナを深く悲しむ境地から生まれたものでしょう。「蛍舞ふ」の幽玄の世界がその切なさを一段と募らせるようです。
いつまでも若き母子像ねぶの花 石原 暁子
近年母上を亡くされた作者らしい眼差しが「母子像」に注がれています。「いつまでも若き」に羨望の思いが見て取れますが、同時にうら悲しさも感じられます。優し気な「ねぶの花」に儚さを連想するからでしょう。