2023.3月

 

主宰句 

 

山茶花は年惜しむこと知らで咲く

 

大年の日を存分に鴨眠し

 

開眼の達磨であれと買初す

 

七草の湯気のからみし長寿眉

 

春永や蛇口に太る水の珠

 

寒夕焼バケツの泥に何かゐる

 

置き配のアマゾンケース松明けぬ

 

頷いて翻りゆく受験生

 

うなさかは太古なる蒼いかのぼり

 

うすらひや神々呼ばふ声ひびき

 

巻頭15句

            山尾玉藻推薦          

 

神々は夜を遊びます雪こんこ      蘭定かず子

 

終弘法へ行きそびれたるエコバッグ   坂口夫佐子

 

片耳の受けとめてゐる冬の滝      山田美恵子

 

後悔を蹴散らしてゆく落葉道      藤田 素子

 

病名を告げて詫びる子月冴ゆる     湯谷  良

 

枯尾花除けて望遠レンズ出づ      小林 成子

 

冬枯の蝦夷の夕日となりて入る     髙松由利子

 

子の病めばこれほども老ゆ羽布団    小野 勝弘

 

葱束とあんパンに鳴るレジスター    尾崎 晶子

 

釣宿に魚拓ひしめく虎落笛       五島 節子

 

寒禽の枝移りせる森の綺羅       松山 直美

 

地下鉄の尖り馳せ来る師走かな     するきいつこ

 

臥す母のよそよそしくて初鏡      大内 鉄幹

 

花八手したたか伐つて健やかで     高尾 豊子

 

着膨れて手に検診の脱衣籠       福盛 孝明

 

今月の作品鑑賞

         山尾玉藻              

神々は夜を遊びます雪こんこ     蘭定かず子

 雪の静かに降りしきる様子を「しんしん」と修辞しますが、もしかすると真夜中の「しんしん」は「神々」が雪に舞う衣擦れなのか、それともお喋りをするひそひそ声なのかも知れません。そう想像すると「雪こんこ」のオノマトペが鮮やかに活きてきます。神々が存分に満足し消え去った朝は、きっと眩いほどの雪景色なのでしょう。

終弘法へ行きそびれたるエコバッグ  坂口夫佐子

 楽しみにしていた「終弘法」へ都合がつかず行けなかった作者です。常の買い物の品々を「エコバッグ」に詰めながら、それが悔やまれてなりません。エコロジーの立役者である筈の「エコバッグ」が侘しく感じられます。

片耳の受けとめてゐる冬の滝     山田美恵子

 「冬の滝」は水量も少なく、ダイナミックさに欠けるもので、作者にとっても強くこころ惹く存在ではないのでしょう。しかしながら「片耳の受けとめてゐる」と敢えて述べた点に、それでも滝は滝と気がかりな様子が伺えます。

後悔を蹴散らしてゆく落葉道     藤田 素子

 「蹴散らしてゆく」から読み取れるのは、「後悔」先に立たずと判っていても悔やまれてならない作者の胸中です。必要以上に蹴っ飛ばされている「落葉」の音が聞こえます。

病名を告げて詫びる子月冴ゆる    湯谷  良

 実は作者、娘さんからご家族の病名を知らされ、それが亡きご主人と同病であっただけに大きなショックを受けられました。親を悲しませ「詫びる」娘さんの境地も痛々しく伝わり、非常に胸うたれる一句です。

枯尾花除けて望遠レンズ出づ     小林 成子

 柔らかな「枯尾花」の中から大きな硬質の「望遠レンズ」がゆるりと突き出て作者は驚いたようです。さてこのレンズ、何を狙っていたのでしょう。全くの即物具象の一句。

冬枯の蝦夷の夕日となりて入る    髙松由利子

枯一色の北海道の大地を「夕日」が没しようとする景ですが、作者は敢えて「蝦夷」と表しました。それは作者がアイヌ民族と彼らの地を強く意識し、同じ国の民族でありながら差別されてきた暗い歴史を思った由縁です。「蝦夷」の語を見逃すことなく鑑賞すると一句に深みが生まれます。

子の病めばこれほども老ゆ羽布団   小野 勝弘

 病の子供さんを案じ心労が続いた所為で、気づくと自身もつくづく老いたと感じている作者です。柔らかな「羽布団」に包まれるとそれが身に染みるのでしょう。先の良さんの句と同様、親心とはこんなにも切ないものなのです。

  葱束とあんパンに鳴るレジスター   尾崎 晶子

 前掲の句と違いなんとまあ軽い句柄でしょうか。でもこれも立派な俳句なのです。「葱束」「あんパン」「レジスター」の音に誰もが日常を即思い出し、「こんな景、よくあるある」と頷くでしょう。これがちょっした普遍なのです。

釣宿に魚拓ひしめく虎落笛      五島 節子

 釣った魚の原寸大の記録が「魚拓」ですが、魚の眼や横顔にはかなりのインパクトがあり、結構怖いものです。まして「虎落笛」がひびく「魚宿」の数多の魚たちに睨まれていたなら、決して落ち着いた気分で過ごせなかった筈です。

寒禽の枝移りせる森の綺羅      松山 直美

 大気が張った寒中、晴れた森の中で小鳥が盛んに枝移りをしているのでしょう。そのたびに辺りの寒気が揺らぎ、きらりと光るように感じられるのです。下五を「森の綺羅」と巧妙におさえ、詩的な世界を描いています。

地下鉄の尖り馳せ来る師走かな   するきいつこ

 「地下鉄」の駅で列車を持っていると、列車は眩しいほどのライトを照らしつつ強烈な警笛を鳴らしながらがホームに滑り込みます。折から「師走」、こころ忙しい境地が「尖り馳せ来る」の措辞を自ずと生んだのでしょう。

臥す母のよそよそしくて初鏡     大内 鉄幹

 病臥中の母上も「初鏡」で身綺麗にされ、少し清まし顔の様子です。そんな母を内心微笑ましく思いながら、それを「よそよそし」と捉えています。それは女性に優しい言葉をかけられない日本男性の大きな欠点の所為。「おっ、今日は綺麗だね」の一言で母上に必ず常の笑みが戻る筈です。

花八手したたか伐つて健やかで    高尾 豊子

 「したたか」に伐り込まれた八手が花を咲かせ、作者はひと安心。しかし伐り込んだ人物は心配する気などさらさら無く至って「健やか」なのです。推察するにその人物はご主人でしょうか。二人のやりとりが聞こえるようです。

着膨れて手に検診の脱衣籠      福盛 孝明

 世のコロナ騒動に常に冷静であった作者ですが、遂にその毒牙にかかられました。「着膨れ」た衣服を脱ぎ入れる「脱衣籠」を持たされ、と他人事のように突き放した表現のようながら、なかなかに自嘲の境地を語っています。気の毒ながらくすっと笑えました。あっ、ごめんなさい。