2023.7月

 

主宰句 

 

青葉木菟うすくれなゐの夜着欲しと

 

灯の入りて夏越の杜と諾へり

 

麦秋を抜け来一輌車の真顔

 

みてぐらの吹かれゆく空梅雨兆す

 

水門の水嵩に来し梅雨の蝶

 

風のたび蛍火けぶる蛍籠

 

信心の太き首伸べ藻刈棹

 

鯉守りと蔵六むつむ夕涼し

 

帷子のそれも縹の男帯

 

夕立晴蛸のつむりを裏返し

 

巻頭15句

     山尾玉藻推薦             

 

春眠の中へこぎ出す泥の舟        蘭定かず子

 

葉桜の磴下り来し桶の稚魚        湯谷  良

 

嵐電の行く手塞ぎし花吹雪         福盛 孝明

 

鷹鳩と化しをさな子に歩み寄る      林  範昭

 

兄の手を握れば柔し花の雨        高尾 豊子

 

竹の葉の影しきり舞ふ春肥やし      坂口夫佐子

 

花房の影がふたりを揺らしけり      山田美恵子

 

お座りを守る仔犬の前を蝶        成光  茂

 

林中の雫たえざる春子採り        根本ひろ子

 

春眠き涯の涯よりインターホン      尾崎 晶子

 

霾晦きりん睫をひと舐めす        亀元  緑

 

母屋よりまづは機場の青すだれ      白数 宏子

 

選挙カー路上に響む夕つばめ       鍋谷 史郎

 

色あひは老いの恋とも桐の花       小野 勝弘

 

たてよこに脚蹴り上げつ春の駒      大内 鉄幹

 

今月の作品鑑賞 

         山尾玉藻   

  春眠の中へこぎ出す泥の舟    蘭定かず子

 眠り心地の格別な「春眠」へ寝落ちる境地を述べ、これほど大胆で且つ的確な表現は他に無いように思います。この作者にとっても珍しく思い切った感覚に成る一句です。但し、掲句の十七字に鑑賞の手がかりとなる具象性が無く、いわゆる俳句的表現の形ではありません。しかし、俳句表現の是非を熟知し季語の情趣となるエキス(掲句では「泥の舟」)を体得していればこの表現も可能です。このパターンは初心者が安易に真似すると大変危険、その点大いに注意が必要です。

  葉桜の磴下り来し桶の稚魚   湯谷  良

 <行く春の稚魚やはやはと放たるる>があるので放生会の景。今は静かになった「桶の稚魚」を覗き、先ほどは「磴」を下りつつ、揺れ動く水の中でさぞ稚魚達は驚き緊張したことだろうと想像する慈愛の眼を思う。

嵐電の行く手塞ぎし花吹雪   福盛 孝明

「嵐電」は四条大宮から嵐山までの嵐山本線の通称名、人家の軒先や神社仏閣の並ぶ路面を行き、花の頃はしばしば「花吹雪」を浴びて進みます。「行く手塞ぎし」の捉え方は決して大袈裟ではなく、この鉄路ののどやかさを過不足なく表しています。

鷹鳩と化しをさな子に歩み寄る  林  範昭

 「鷹鳩と化す」は啓蟄の三候、季語としては春らしい穏やかな兆しを示します。小さな子供に鳩の方から近づいてゆく景は如何にも安らかで暖かく、難季語を巧みに使いこなした一句と言えるでしょう。

兄の手を握れば柔し花の雨    高尾 豊子

 働き者の兄は節くれだつ硬い手だった筈なのに、握ったその手が思いがけず柔らかく驚いた作者。驚きはいやでも兄の老いを諾う気持ちに繋がった事でしょう。「花の雨」が作者のしんみりとした心境を語ります。

竹の葉の影しきり舞ふ春肥やし  坂口夫佐子

 竹林に「春肥やし」を施す人影へ頻りに降る「竹の葉」が影を成す嫋やかな景。本来「竹の葉散る」は初夏の季語ですが、晩春に竹の成長を期し「春肥やし」は欠かせず、自然が描く通りにどちらの季語も欠かせないでしょう。季節の端境期を印象深く描きました。

花房の影がふたりを揺らしけり  山田美恵子

 揺れ続ける桜を仰ぐのは恋人同士、それとも老い二人でしょうか。揺れる「花房」が二人に影をし、まるで二人も揺れているかのよう、との捉え方が詩的です。

お座りを守る仔犬の前を蝶    成光  茂

 掲句を事柄俳句とはき違える向きもあるかも知れませんが、決してそうではありません。言いつけ通り「お座り」をしつつ「仔犬」は目の前を過った「蝶」に抑えられぬ好奇心を抱いた筈です。まして蝶との遭遇が仔犬にとって初体験であったならと想像すると、単なる十七文字が語り始める内容は無限です。

林中の雫たえざる春子採り    根本ひろ子

 椎茸榾が並ぶ「林中」は昨夜の雨でしっとりと濡れ、あちこちの木々の枝葉が「雫」し、それが木漏れ日で煌めきます。「春子採り」の作業も自ずと捗ります。

春眠き涯の涯よりインターホン  尾崎 晶子

 昼寝の最中に「インターホン」が鳴ったのでしょう。「涯の涯より」の感覚が「春眠き」の茫々とした意識を間違いなく言い留めています。果たして作者は目覚めたのでしょうか。

霾晦きりん睫をひと舐めす    亀元  緑

 「きりん」の舌は恐ろしく長くて真っ黒、また際立って長い「睫」をしています。その舌なめずりを目撃し、きりんが睫に溜まる黄砂を舐めたと捉えた作者です。やはり俳句は出会い、机上では得られない一句。

母屋よりまづは機場の青すだれ  白数 宏子

 家内工業的な小さな「場」にいち早く「青すだれ」が吊られている景。機織り作業を長年続けてきた勤勉さと誇りを象徴するような新しい簾が匂い立っていることでしょう。

選挙カー路上に響む夕つばめ   鍋谷 史郎

「選挙カー」にそれには関わらず爽やかに舞う「夕つばめ」を配し、快い二物衝撃があります。「路上に響む」が人の世の喧騒を言い得ている点にも注目です。

色あひは老いの恋とも桐の花   小野 勝弘

 高みに咲く「桐の花」は強く主張する花ではなく、気づいた者をほのぼのとした思いにさせる花です。「老いの恋」の喩えに優しさと憧れが滲み出ています。

たてよこに脚蹴り上げつ春の駒  大内 鉄幹

 「たてよこに脚蹴り上げつ」の措辞に、寒中厩で過ごすことの多かった「春の駒」の嬉しい解放感と躍動感が如実に表れています。眺める作者のこころも弾みます。厳冬の地北海道ならではの嘱目詠です。