2023.9月

 

主宰句 

 

花火して母ねんごろに老い給ふ

 

白地着て熊野本宮詣かな

 

鮎竿の躙る早瀬の真ただ中

 

峰雲の子規の横がほにしてしづか

 

蛭蓆もとより咲く気なく咲ける

 

炎帝の胸もとへ槍投げんとす

 

洋上の台風のろき古葭簀

 

今朝秋の庭より母の化粧見え

 

皿の上のいといたはしき桃の皮

 

星合の箱階段をのぼる音

 

巻頭15句

     山尾玉藻推薦                  

 

名を呼ばれ昼寝の底につまづけり    坂口夫佐子

 

手間ひまに蠅しきり追ふ朝市女     湯谷  良

 

渓音に積まれてありし藺座蒲団     蘭定かず子

 

大釜にたかんな鎮む高嶺星       山田美恵子

 

かはほりの風に晒せり耳のつぼ     五島 節子

 

日盛や地を這ひゆける湯気の影     上原 悦子

 

溝浚へ土管の先に夫の声        高尾 豊子

 

寝返りの度に尖(とんが)る時鳥      福盛 孝明

 

七夕や子はすべからく母の傍      成光  茂

 

いざといふときがかならずかたつむり  藤田 素子

 

白鷺の首の泳げる青田波        松山 直美

 

黒南風や下顎を張る鰐化石       髙松由利子

 

淡海の波となりゆく青田波       上林ふらと

 

ジュラ紀より戻りし汗の昼寝覚     鍋谷 史郎

 

若葦を水影支へをりにけり       永井 喬太

 

今月の作品鑑賞 

         山尾玉藻         

名を呼ばれ昼寝の底につまづけり  坂口夫佐子

 熟睡していた「昼寝」の最中、突然誰かに名前を呼ばれて驚いて目覚めた作者でしょう。「昼寝の底」と其処に「つまづけり」と叙した点で、それが面白おかしく伝わってきます。 

手間ひまに蠅しきり追ふ朝市女    湯谷  良

 「手間ひまに」の措辞より、市の品々に寄ってくる「蠅」にかなりナーバスになっている「朝市女」が想像できます。と同時に執念深い「蠅」も思われて来ます。余り蠅に気を取られていると折角のお客を逃すのでは。

渓音に積まれてありし藺座蒲団    蘭定かず子

 「渓音」とは川音、風音、揺れる樹木の葉音、鳥の声と様々でしょうが、いずれも涼やかに違いありません。そんな音を四囲にして積まれてある「藺座布団」はさぞ爽涼感を漂わせていたことでしょう。秋が近いのかも知れません。

大釜にたかんな鎮む高嶺星      山田美恵子

 茹で上がった「たかんな」は湯と共に冷えるまでそのままにしてきます。高嶺に輝く星に見守られながら、釜のたかんながゆっくりと冷えてゆきます。なかなか味わい深い取り合わせです。

かはほりの風に晒せり耳のつぼ    五島 節子

 耳には全身のつぼが集中していて、内臓器官や自律神経に効果があるようです。夕風を「かはほりの風」と改めて述べた点から、蝙蝠に自分の見ぬちを見透かされているような少々翳りある思いを抱いた作者が窺えます。

日盛や地を這ひゆける湯気の影    上原 悦子

 なるほど、真夏の強い日差しを浴びると、地面近くを這う「湯気」にも影が生まれるのですね。湯気も生きているのです。ぶれの無い写生眼を働かせるとこんな発見があり、それはものの真実に触れた一瞬です。

溝浚へ土管の先に夫の声       高尾 豊子

 近隣の住人達が出揃い「溝浚へ」の最中です。作者もご主人と共に参加していたのですが、「土管」を抜けて来たご主人の声に「お、頑張ってるな」とでも思ったのでしょうか。なんとも微笑ましい一句です。

寝返りの度に尖(とんが)る時鳥     福盛 孝明

 真夜、「時鳥」の声に目覚めた作者でしょう。時鳥は辺りを裂くような鋭い声で鳴き、夜中に聞くそれは余り快くありません。「尖る」にその実感が籠っています。

七夕や子はすべからく母の傍     成光  茂

 一般に子供の幼い内は父よりも「母」に寄り添われながら育ってゆくものです。「七夕」にこころを寄せるのも概して女性である点から、上五に「七夕や」と据えて豊かな情趣を生みました。「七夕」の季語は絶対です。

いざといふときがかならずかたつむり  藤田 素子

「いざといふとき」とは南海トラフ大地震を指しているのでしょうか、それとも個人的な事情から来るものでしょうか。しかし人はそれを理解していても、何処かで切羽詰まっていないものです。作者はのんびりと這う「かたつむり」を見つつ、そんな自分を重ねています。

白鷺の首の泳げる青田波       松山 直美

 稲は既によく成長し、「青田風」もさわさわと音を立てているのでしょう。餌を求める白鷺の体もすっぽりと稲に隠れ、「首」だけが見えています。鷺は相変わらず抜き足差し足で、その首の動きが可笑しく想像されます。

黒南風や下顎を張る鰐化石      髙松由利子

 三〇~五〇万年前には日本でも鰐が生息しており、豊中待兼山で化石が発見されています。鬱陶しい「黒南風」と取り合わせ、その「下顎」の巨大さや不気味さを強調しました。

淡海の波となりゆく青田波      上林ふらと

 「淡海」を遠くに臨む稲田でしょう。風のある日、田では「青田波」が白波の立つ淡海の方へ方へと靡き続けます。緑の波が白い波を果てしなく追いかける爽やかな大景を、簡潔に述べた奥行のある一句です。

ジュラ紀より戻りし汗の昼寝覚    鍋谷 史郎

 「ジュラ紀」は恐ろしい恐竜の時代。昼寝中にその時代にタイムスリップした夢を見た作者は、目覚めた折にじっとり汗をかいている自分に気づき、然もありなんと大いに納得しています。尚、「汗」「昼寝覚」は季重なりの形をとっていますが、この場合の「汗」は一句の主眼点です。故にこの句は二季語があってこそ詩となり得ており、主季語従季語と区別するケースとは全く違います。

水影が若葦支へをりにけり      永井 喬太

 「若葦」とは角が成長した若葉のこと。まだ柔らかく見るから頼りな気に揺れていますが、水に映える「水影」だけはしっかりと引いています。作者はまるでその水影が若葦を閊えているように捉えたのです。真の写生眼を働かせた見事なこころの写生句です。