2024.10月

 

主宰句

 

まつ直ぐに鵜の過りたる秋の松

 

ひやひやと山の面とまみえゐし

 

ひよんの笛はたして雲の垂れ来る

 

星々の綺羅を力にあめのうを

 

新豆腐角はきはきと沈みゐし

 

菊食べし息のさきざき夜や深む

 

秋水に添ふ護送車に鉄格子

 

沙の上を沙の流るる雁渡し

 

原付で何処へでも行く豊の秋

 

神留守の走り井餅の生絹いろ

 

巻頭15句

     山尾玉藻推薦                 

 

斬り伏せし大向日葵をかへりみず    蘭定かず子

 

あら草に敷きし茣蓙浮く沖縄忌     小林 成子

 

夕花野涛の砕くる崖に尽く       松山 直美

 

くねりつつ野に溺れゆく草刈機     福盛 孝明

 

日盛のしじま吸ひ込む松の瘤      坂口夫佐子

 

滝水に顔を洗へる奉仕団        湯谷  良

 

街道の松渡り来る白雨かな       五島 節子

 

金魚田の畔後戻りする気無し      大東由美子

 

走り根のひたに水際へ鑑真忌      今澤 淑子

 

月見草屋台が湯気を曳きゆける     山田美恵子

 

六道之辻にこの世の夕溽暑       藤田 素子

 

離陸機の窓袈裟がけに薯の花      大内 鉄幹

 

米櫃を覗きこんだる炎暑かな      根本ひろ子

 

鉦太鼓男踊りを操りし         するきいつこ

 

腸を任すユニクロの腹巻        高尾 豊子

 

今月の作品鑑賞 

         山尾玉藻           

 

斬り伏せし大向日葵をかへりみず  蘭定かず子

向日葵畑でしょうか、花の盛りを過ぎた身の丈ほどの向日葵が次々と刈り倒されてゆきます。向日葵は音を立てて倒れてゆくのですが、刈ってゆく人は振り向きもしないのです。その景を目の当たりにした作者は、これまでの向日葵の雄姿を改めて思い返し、憐憫の情を抱いた様子です。

あら草に敷きし茣蓙浮く沖縄忌   小林 成子

 何の目的で雑草の上に茣蓙が敷かれているのかは、掲句の詩に関わりない事であり、我々は茣蓙がしっかりと地に添っていない不安定感、そしてあら草と茣蓙の噎せるような匂いを感じ取れば良いのです。その体感が自ずと「沖縄忌」に繋がってゆく筈です。作者は詩の在り処をよく心得ています。

夕花野涛の砕くる崖に尽く     松山 直美

 夕べの花野は美しく心静かな思いにさせるものです。そんな思いで野を辿っていた作者ですが、その野は荒波が砕け散る崖で尽きていたのです。激しい涛音にそれまでの作者の豊潤な思いは忽ち失せて行ったことでしょう。

くねりつつ野に溺れゆく草刈機   福盛 孝明

 「くねりつつ」でこの野原の荒涼とした様子が、また「溺れゆく」で荒草の猛々しい丈が想像されます。自ずと草刈機が野に踏み込んだ途端の唸るような音と、徐々に遠ざかっていくのも聞こえて来るでしょう。十七文字の力を実感させる一句です。

日盛のしじま吸ひ込む松の瘤    坂口夫佐子

 ごつごつとした松の瘤が日盛の熱気を吸い込むのではなく、日中の怖いようなしんとした静けさを吸い込むと捉えた点にこの句の手柄があります。

滝水に顔を洗へる奉仕団      湯谷  良

 この瀧自身がご神体である神の滝に奉事する信者の方々でしょうか、それとも滝道を整理、清掃するボランティアの人々でしょうか。その奉仕活動も終わり、汗まみれの顔を清冽な滝水で洗っています。献身的活動をした人々の顔だけに、煌めく素顔が眩しく感じられます。

街道の松渡り来る白雨かな     五島 節子

 松並木の古い街道の遥かから白雨が走ってくる景を、余計な修辞を挟まず写生しました。白雨はまるで生きもののようにこちらをめがけて一目散に駆けて来るのでしょう。まるで迫力あるモノクロの映像を見るような、立体感ある一句です。

金魚田の畔後戻りする気無し    大東由美子

 炎天下、何枚もの金魚田が続く中を辿る作者なのでしょう。長々と続く細い畦から、また噎せかえるような金魚田の匂いから、一刻も早く抜けだしたいと苛立つ作者でしょう。その気持ちが、「後戻りする気無し」の言い放ちに表出されています。

走り根のひたに水際へ鑑真忌    今澤 淑子

 走り根と鑑真忌に直接の関りはありませんが、走り根は水の存在する方へ方へと懸命に伸びるものです。その懸命さを象徴する語が「ひたに」であり、ひたむきに仏の教えを説いた鑑真の精神と生き様に繋がっています。

月見草屋台が湯気を曳きゆける   山田美恵子

 月見草が開き始める夕べ、その近くを湯気を上げながら屋台が過ぎて行きます。湯気は月見草の方へ方へと流れていくのでしょうか。意外な取り合わせが新鮮で見逃せない一句です。

六道之辻にこの世の夕溽暑     藤田 素子

 「六道之辻」は珍皇寺の門前の辻のことですが、昔の火葬場の化野へ続く道であり、仏教では死者が生前の業因により地獄、餓鬼、畜生、阿修羅、人間、天上の六道へと分れてゆく辻を意味します。じっとりと身に纏いつく「夕溽暑」に佇み、作者の思いはきっと複雑であったことでしょう。「この世の」の措辞によりちょっとした重層性ある幻想の世界をも生んでいます。

離陸機の窓袈裟がけに薯の花    大内 鉄幹

 今、広大な北海道は馬鈴薯の花盛りなのです。離陸する飛行機の小窓もその花で染まります。この句の要は「袈裟がけ」、飛行機が離陸後に急上昇する様子を的確に捉えています。

米櫃を覗きこんだる炎暑かな    根本ひろ子

 米櫃を覗き込む行為は人間の悲しい習性かもしれません。作者も何気なくその行為をし、ふとそんなことを感じたのでしょう。そして急に今まで以上に酷暑を実感しているのです。

鉦太鼓男踊りを操りし      するきいつこ

 一読、阿波踊りの男踊りを思わせます。しなやかで上品な女踊りに対し、男踊りは鉦太鼓の速まりに乗り腰を低くし自由でダイナミックで、まるで何かに取り憑かれたような踊ぶりです。それを喩えて「鉦太鼓」が「操りし」とは見事な捉え方です。

腸を任すユニクロの腹巻      高尾 豊子

 鑑賞を要しない一句です。このコミカルで軽快な詠みぶりが、ユニクロの大衆的イメージによくマッチしています。固有名詞の力に成った一句とも言えるでしょう。