2024.5月
主宰句
椿くぐりつ青空を訝しむ
人ごみの中に鳥風聞きゐたり
春なれや鍋が炒飯放り上げ
花びらを分け蔵六の首がゆく
髪しづかにあれば止みけり花吹雪
花散れる水が土嚢にふた分れ
よんどころなく抓みゐし鶯餅
田螺和食べしきりに瞬ける
まつ新の踝で入るげんげん田
木に竹に魂あればこそ朧なる
巻頭15句
山尾玉藻推薦
まつさらの顔並べゐる犬ふぐり 坂口夫佐子
襟白しバレンタインの日の教師 蘭定かず子
春事や草に巻き付く牛の舌 湯谷 良
鶏鳴のあれば覗いて探梅行 松山 直美
月差せばらふたけゐたる母の雛 山田美恵子
残されたるか昼過ぎの鴨の声 小林 成子
軒下の雪の笑窪に鬼の豆 亀元 緑
野火点けて少年ふいに大人びる 福盛 孝明
春一番腰低く結ふ舫ひ綱 するきいつこ
いぎたなく寢飽かざりける恋の猫 石原 暁子
盆梅の並ぶ隠宅寄らずおく 西川ゆうこ
一喝を浴びて海鼠となる寒夜 吉岡 ハル
山風のつまづくところ蕗の薹 根本ひろ子
かはたれの水し吹かしぬ残り鴨 五島 節子
ほろ苦きみどりを箸に朧かな 上林ふらと
今月の作品鑑賞
山尾玉藻
まつさらの顔並べゐる犬ふぐり 坂口夫佐子
その形容から不名誉な名で呼ばれる「いぬふぐり」ですが、掲句はその一花一花を「顔」と愛くるしく見立てたのです。この見立てであの可憐で清浄なブルーを湛える花々が見事に映像化され「まつさら」から朝の陽光に煌めくひと叢が確かに見えて来ます。
襟白しバレンタインの日の教師 蘭定かず子
「バレンタインの日」と「教師」に直接の関りはありません。しかし「襟白し」の印象付けで、教師としての矜持を抱く若々しい教師を思い浮かべ、そこから自ずとその教師に憧れる女生徒を連想するでしょう。季語をただ軽薄に捉えず、新しい角度から詠み、逆に季語自体に新鮮な息吹を宿らせているような一句です。
春事や草に巻き付く牛の舌 湯谷 良
本格的な農作業を始める前に、近隣で寄り合い野遊びをする祭事が「春ごと」です。農作業開始前のゆったりとした時間が流れる時でしょう。萌え出した牧草か或いは乾草でしょうか、牛がのったりとした舌でそれを絡めとる景にも、春ごと時の静穏な時が流れているようです。着眼の良さに感心しました。
鶏鳴のあれば覗いて探梅行 松山 直美
春の声を聞かない内から梅の花を訪ねて歩く「探梅行」ですが、必ずしも梅の花に出会うとは限りません。しかしそんなケースでも、どこか微かに春の胎動を感じ取れる楽しみがあります。作者も「鶏鳴」を逃さず聞き止め、どれどれと鶏舎を覗いたのでしょう。
月差せばらふたけゐたる母の雛 山田美恵子
昼間の床の間の「母の雛」はそれなりに古色蒼然とした雰囲気を醸し出していたのでしょう。しかし今、月明に浮かぶその風姿は垢抜けた優雅さを湛えています。作者はその高尚な美しさに心奪われています。
残されたるか昼過ぎの鴨の声 小林 成子
ゆっくりと時が流れる昼過ぎ、不意に鴨の鳴き声が上がりました。それを聞き止めた作者は「残されたるか」と鴨の胸の内にあるかも知れない翳りを探っているのです。長閑な昼過ぎに突として上がった声だけに、そんな気がかりを覚えたのでしょう。〈残りしか残されゐしか春の鴨 岡本眸〉に通じる世界があります。
軒下の雪の笑窪に鬼の豆 亀元 緑
積雪の地での嘱目詠でしょう。雪の積もる屋根から氷柱が下がり、その雫で軒下の雪に点々と小さな窪みが出来ています。作者がそれを「笑窪」と見立てたのはその小ささからでしょうが、それ以上に其処に昨夜の「鬼の豆」を見つけた嬉しさから自ずと生まれた表現なのでしょう。父圭岳から「吟行では昂らず足元を見よ」と教えられました。これは掲句の如く、吟行と言う非日常の世界にあっても平常心を保てば、必ず足元にも何かしらの出会いがあるとの教えなのです。
野火点けて少年ふいに大人びる 福盛 孝明
「野焼」を始める少年の顔に幼さが残るのを見て、少々不安を覚えていた作者です。しかし、火を点じた途端、少年の顔が変容したのでしょう。立ち上がる炎を前にして少年の顔に緊張が走り、それを「ふいに大人びる」と捉えた点に納得です。
春一番腰低く結ふ舫ひ綱 するきいつこ
湾内に「春一番」が吹き荒れる日、舟を杭に繋ぎ止めようとする人影が見えます。その人影は出来る限り腰を低くし、風に負けまいとしています。この「腰低く」は何事も見逃さない写生眼の手柄であり、春一番の勢いを十分に言い得ています。
いぎたなく寢飽かざりける恋の猫 石原 暁子
恋が成就したのか、戻ってきた猫がぐっすり眠りこけています。その姿を「いぎたなく寝飽かざり」と描き、作者はかなり批判的です。そんな作者の思いなど知った事かとばかりに猫は深眠りを続けるばかりです。
盆梅の並ぶ隠宅寄らずおく 西川ゆうこ
この句からこの「穏宅」は世間から隠れひっそりと住む家ではなく、老人が静かに住まう家でしょう。作者は通りすがりに前栽に並べられた丹精込めた「盆梅」を愛でながら、老人の変わりない様子に安心したのでしょ。声をかけずに立ち去る作者の好もしい人柄が「寄らずおく」に表出されています。
一喝を浴びて海鼠となる寒夜 吉岡 ハル
誰かに大きな声で叱咤された作者でしょうか。その声の勢いに忽ち心身ともに縮こまってしまった自身を「海鼠となる」と喩えて、厳しい実感を籠めています。身も凍えるような寒さの夜、桶の隅で身を固くする海鼠をどうしても実感してしまう面白さがある一句です。
山風のつまづくところ蕗の薹 根本ひろ子
句意は平明且つ一読して景が見えてくる一句です。遠く山並みを背にした野面に「蕗の薹」がほつほつと頭を擡げているのでしょう。「山風のつまづく」の表現は、思いがけず蕗の薹を見つけた作者の嬉しい驚きが「山風」に感情移入されたものです。
かはたれの水し吹かしぬ残り鴨 五島 節子
夕刻「残り鴨」が急に羽搏き、静かに暮れようとしていた水を激しくし吹かせました。その羽音と水のし吹きようの激しさに、鴨自身の寂しさをみてとっている作者です。ここにも対象への確かな感情移入が感じ取られます。前掲の成子さんの句と合わせ鑑賞し、その微妙な趣の違いを読み取って下さい。
ほろ苦きみどりを箸に朧かな 上林ふらと
「ほろ苦きみどり」とは蕗味噌でしょうか。それをひと箸抓んで心満たされている作者です。このほろ苦い感覚が、気分に流されがちな「朧」を過不足なく受け止め、季語と句意が良きバランスを保っている一句です。