2024.6月

 

主宰句

 

白波の巌指しくる端午かな

 

月は眉ととのへゐたり合歓の花

 

碧天をかくも畏るる竹の秋

 

突と咲き忽と萎えゐし躑躅かな

 

老鶯の鳴く辺猩々いろならむ

 

昔より日射しいなせる金鳳花

 

衣更へて身ほとりの影豊かなる

 

母に瓜を雷干にする大事

 

赤腹や浪花をんなにくつがへり

 

向かうより目に立つて来し日傘かな

 

巻頭15句

     山尾玉藻推薦            

 

耕人の居らぬが如く居りにけり     湯谷  良

 

さしきたる日に古草の前のめり     坂口夫佐子

 

西行忌ここに日溜りありし筈      今澤 淑子

 

水取の月の出さらに冷えまさる     山田美恵子

 

蓬野に子を追ふ声のつまづきぬ     蘭定かず子

 

連翹を弾かれ出でし雀かな       松山 直美

 

春の鴨番らしきに割り込みぬ      五島 節子

 

山莉萸やふいの夜風に烟りたる     西村 節子

 

まほらまの風を巻きこむ春キャベツ   根本ひろ子

 

紙雛繕ひ跡に繕ひ跡          尾崎 晶子

 

島々の一つづつ昏れどこか春      緒方 佳子

 

霾れる野にふかふかの土竜塚      福盛 孝明

 

来し方の陽炎曳いて着陸す       大内 鉄幹

 

果樹園の繋がり初むる根明きかな    亀元  緑

 

北開く阿蘭陀医学和綴ぢ本       福本 郁子

 

今月の作品鑑賞 

         山尾玉藻          

耕人の居らぬが如く居りにけり   湯谷  良

麗らかな春の田を遠く眺めながら、最初は畑に人影が見えなかった作者です。しかしよく目を凝らすと畑を耕す人が見えるではありませんか。恐らく「耕人」は畑と共に陽炎うていたと思われます。なかなか巧妙な「居らぬが如く居りにけり」の表現でちょっとした驚きを表現し得ています。と同時に、作者の春たけなわのこころ踊りも感じ取ることが出来るでしょう。

さしきたる日に古草の前のめり   坂口夫佐子

 元々この「古草」は元気がなくて撓垂れていたのでしょう。しかしその状態を「前のめり」と擬人化し、古草が射してきた「日」を恃み求めるかのように感じさせる所にこの句の独自性があります。ひねりのある一句と言えるでしょう。

西行忌ここに日溜りありし筈    今澤 淑子

 歌僧西行は平安末期の武士でありながら二十三歳で世の無常を感じて出家しました。その和歌の詠みぶりからも、技巧に拘ることなく素直な境地が見て取れます。しかし裏を返せば常に煩悩に悩まされていたのかも知れません。「ここに日溜りありし筈」の呟きは、世の虚しさに通じる心境と言ってもよく、西行を偲ぶに相応しい内容と言えるようです。

水取の月の出さらに冷えまさる   山田美恵子

 関西ではお水取りが済まないと春は来ないと言われるほど、「水取」の時期は日中でも厳しく冷え込みます。まして「月の出」の頃には底冷えとなり、「さらに冷えまさる」の思いは切実です。これから冴え冴えとした月を焦がさんばかりにお松明が上げられるのでしょう。

蓬野に子を追ふ声のつまづきぬ   蘭定かず子

 作者が蓬を摘みに来た野に、小さな子供連れの人も来ていたのでしょう。駈け回る子供を追うその人の声が不意につっかえ、「あっ、躓いたのかしら」と振り返った作者が目に浮かびます。「蓬野」に麗らかな時が流れます。

連翹を弾かれ出でし雀かな     松山 直美

 「連翹」のまっ直ぐで固い枝は勢いよく四方に張っています。今、一羽の雀が連翹から勢いよく飛び立ったのですが、作者には雀が連翹に弾き出されたかのように感じられたのです。連翹の花の眩しさとその枝ぶりが、そう思わせたに違いありません。

春の鴨番らしきに割り込みぬ    五島 節子  

傷ついたり病気で仲間達と共に北方へ帰れなかった「残る鴨」「残り鴨」と違い、帰る時期が遅い鴨や留鳥を指す「春の鴨」の漂う景には長閑な趣が漂っています。「番らしき」二羽に割り込んだ一羽は何か横槍を入れたのか、それとも恋の鞘当てでしょうか。春ならではの長閑な想像を誘う一句です。

山莉萸やふいの夜風に烟りたる   西村 節子

思いがけない「夜風」に「山莉萸」の花の黄色がくすぶったとする感覚的な一句です。山莉萸の花は鮮やかな黄色をしており、また早春に咲き春の訪れを告げる花の印象が強く、どちらかと言えばポジティブなイメージの花です。しかしそんな花にまだまだ冷たい夜風が吹き、「烟りたる」の感覚が生れたのです。

まほらまの風を巻きこむ春キャベツ 根本ひろ子

 頭に置かれた「まほらまの」の韻の快さで、この畑の在り場所が知られ、穏やかな風の吹きようが思われます。その上「春キャベツ」の緩やかな巻きようも見えて来ます。「まほらま」のよき斡旋に成った一句です。

 紙雛繕ひ跡に繕ひ跡        尾崎 晶子

 この「紙雛」は長い年月、女性たちに大切にされてきたに違いありません。祖母が繕った所を母が繕い、そして作者が丁寧に繕ってきたのです。「繕ひ跡に繕ひ跡」の簡潔な表現で紙雛の様子が明確に伝わります。たかが紙雛、されど紙雛なのです。

島々の一つづつ昏れどこか春    緒方 佳子

 瀬戸内の暮れ方の景でしょうか。点在する島々が一つずつ暮色を深める景を眺めながら、作者は不確かながらも春の気配を感受しています。「どこか春」の率直な表現が好もしいです。

霾れる野にふかふかの土竜塚    福盛 孝明

 「土竜塚」とは土竜が地中で餌を探す時に生まれる土を地表に押し上げたもの。それが「ふかふか」なのですから、まぎれもなく土竜の只今の活動ぶりが想像されます。しかしその地上では諸々が黄砂にけぶり沈んでいるのです。対照的な二物衝撃により春が確かに動いていることを物語る一句です。

来し方の陽炎曳いて着陸す     大内 鉄幹

 広大な北海道の陽炎を思うと、眼前の陽炎の奥の陽炎、またその奥の陽炎をも自ずと推し量ってしまいます。その上での「来し方の陽炎曳いて」の措辞ですから、この一機がどれほどの陽炎を飛行してきたことかと、思いは膨らむばかりです。

果樹園の繋がり初むる根明きかな  亀元  緑

 「根明き」とは降雪量の多い地で、春先に樹の根もとの雪が溶けて地面が丸く見える現象を指します。掲句は果樹園の樹々の根明きが徐々に大きくなり、根明き同士が一つとなり始めた景を描きました。果樹園と言う場所設定の宜しさで、読み手のこころも春の兆しに弾みます。

北開く阿蘭陀医学和綴ぢ本     福本 郁子

 「阿蘭陀医学和綴ぢ本」から大阪北浜の適塾で拝見した古い医学書を思い出し、「北開く」主は緒方洪庵ではなかろうかなどと楽しませて呉れる一句です。それほどに二物が醸し出す趣はどこかゆかしく、作為や計算が感じられぬ点に好感を覚えます。