2024.7月

 

主宰句

 

もしやもしやお玉杓子が澪曳かば

 

中天の遥かなりけり杜若

 

くれぐれと夕風渡る浮葉かな

 

群青の淵まふたつに蛇泳ぐ

 

蟇の背が吾を重じゆうに感じをり

 

まだ昨夜を踏みをり蟇の後ろ肢

 

灯の入りてががんぼの影いまさらに

 

嫌うてをらぬに死んでゐるががんぼ

 

瓜畑をうつつに眺め瓜ごこち

 

一膳に蓼酢欠けゐし大広間

 

巻頭15句

     山尾玉藻推薦            

 

奥まるといふ明るさの落椿       小林 成子

 

截つて見せ怯んでも見せ初燕      今澤 淑子

 

目刺干す手に瑠璃色の移ろへる     五島 節子

 

仏具屋の金にしづもる霾ぐもり     蘭定かず子

 

膕をかすめしははた蚊喰鳥       坂口夫佐子

 

落し角水漬ける沼の秘色いろ      山田美恵子

 

咲くことのみ念ずる花へ日差しあり   髙松由利子

 

自らを恃みと耡ふ春田かな       根本ひろ子

 

なさるるまま転びし羊毛を刈らる    西村 節子

 

流氷の競り合ひゐしが遂に立つ     亀元  緑

 

二手より一つ流れに残り鴨       福盛 孝明

 

竹林へ走り込んだる花つむじ      松山 直美

 

置きし杖へ脱ぎし上着へ花散れる    尾崎 晶子

 

軽トラにシャベルと箒桃の村      福本 郁子

 

草萌へ放たれ鶏の慌てやう       西村 裕子

 

今月の作品鑑賞 

         山尾玉藻               

   奥まるといふ明るさの落椿    小林 成子

 本来「奥まる」とは奥に位置する意で、ほの昏いイメージを抱かせますが、それに反し掲句は「明るさ」と言い切っています。そこから逆に周辺の昏さを想像し、その奥に見える「落椿」の鮮やかさを一層具現化しています。この中七までの巧みな表現が、落椿の一景を鮮やかに印象付けています。

截つて見せ怯んでも見せ初燕   今澤 淑子

 「截つて見せ怯んでも見せ」とは、初燕がある時は空を閃光の如く飛翔し、ある時はふわりと力を抜いて飛んだりする景を述べたもので、作者はそれを燕が敢えて自分の為に見せて呉れていると捉えたのです。この心理は待ちに待った「初燕」を目にした喜びから来たものです。

目刺干す手に瑠璃色の移ろへる  五島 節子

 新鮮な鰯は眼が澄んでいて全体に艶と張りがあり、お腹は「瑠璃」色をしています。作者は鰯を天日干しにしつつその瑠璃色の美しさに目を見張り、それを干す手までが瑠璃色に染まるかのように思えたのです。「瑠璃色の移ろへる」の程を心得た表現をとても好もしく思います。

仏具屋の金にしづもる霾ぐもり  蘭定かず子

 金色の品々が整然と並ぶ仏壇店や仏具屋の店内は特異な一空間であり、その金色の所為で冬季は冷え冷えと夏季は暑苦しい雰囲気の漂いを覚えるものです。そんな中、黄砂が降り鬱とした町中の仏具店は静けさを漂わせていると捉えています。インパクトのありそうな金色ですが、それを見る人の心境により、如何なるようにも感じさせる色なのでしょう。

をかすめしははた蚊喰鳥    坂口夫佐子

 一般に「蚊喰鳥」は余り好もしい対象とされず、作者も例外ではないようです。佇んでいた膕にふと何かが触れたように感じ、もしや蚊喰鳥が掠めたのではと疑っています。昏いイメージの膕はとても過敏なところ、そんな膕に対して作者が蚊喰鳥に抱く鬱とした感情が微妙に働きかけています。

落し角水漬ける沼の秘色いろ   山田美恵子

「秘色(ひそく)いろ」とは瑠璃色のこと。作者は山深い沼の水辺に落し角を見つけました。そんな場合、大方は興味のポイントを落し角に置くでしょうが、作者は冷静に沼のあり様で句を結んでいます。優美な「秘色いろ」の語から、この密やかな沼に鹿が敢えて角を落して行ったようにも思えてきます。秘色いろという選び抜かれた語の持つ力でしょう。

自らを恃みと耡ふ春田かな    根本ひろ子

 「耡ふ」は田畑の土を鍬で掘り起こし畝を作る意で、掲句は「春田打」の一景です。他人の力を借りずにという意の「自らを恃みと」から、そう広くない田畑で自給自足可能な程度の野菜や豆類を育てている様子が想像されます。作者はそんな耕人になんとなくこころが惹かれているのでしょう。

なさるるまま転びし羊毛を刈らる 西村 節子

 毛刈りをされる羊は飼育員に俯せにされたり仰向けにされても、全く抗うことなく、誠に「なさるるまま」なのです。その上、全身の毛を刈られ薄ももいろの皮膚が露わとなった姿は不憫そのものです。ですが、もこもこの毛皮を脱ぎ捨てた羊自身はとても爽快なのかもしれません。と考えると「なさるるまま」にある羊の様子に納得がいくようでもあります。

流氷の競り合ひゐしが遂に立つ  亀元  緑

 北海道旅吟でしょう。流氷が激しく揉み合う景を目を凝らして見ていたのでしょうが、互角の力の流氷同士がとうとう互いにせり上がったのです。大自然の力を目の当たりにした作者の驚きが、下五「遂に立つ」に存分に表出されています。

二手より一つ流れに残り鴨    福盛 孝明

 二つの支流が合流する辺りの寸景。それぞれの流れに乗っていた残り鴨が、ゆっくりと一つ流れの鴨同士となって行ったのです。大方の人間の眼に「残り鴨」は寂しそうな景として映るもので、作者もちょっとした安堵を覚えたに違いありません。温かな眼差しを感じさせる一句です。

竹林へ走り込んだる花つむじ   松山 直美

 「花つむじ」とは桜の花びらを渦のように巻き込んで吹き上がる風のこと。その風が宙を走っていたかと思うと、思いがけなく「竹林」の奥へ駆け込んだのです。花を巻き込んだ風は、昼暗い竹林を瞬時ほの明るくしたことでしょう。桜の季節の風の戯れ、それともここころ遣いでしょうか。

置きし杖へ脱ぎし上着へ花散れる 尾崎 晶子

 桜を楽しみつつ杖を土手に休める老人、陽気に誘われて脱いだ上着を肩にかけて歩く若者、みんな漸く咲いた桜に対する喜びに満ちているようで、人々の笑顔へ、杖へ、上着へ、桜が止めどなく舞い散っています。作者が「杖」「上着」の語に何を象徴しているかを感じ取りたいところです。

軽トラにシャベルと箒桃の村   福本 郁子

 桃の花が咲き満ちた一村の軽トラックの荷台を覗き込んだ作者は、そこにあった「シャベル」と「箒」に興を覚えました。桃の花の弾むような明るさの中、シャベルと箒という余り大袈裟でない道具に、軽トラの主の働く様子を想像し、なんとなくこころ満たされたのでしょう。

草萌へ放たれ鶏の慌てやう    西村 裕子

 日頃は小屋で飼われているのであろう鶏が、ある日草ぐさが萌え出る春の野へ放たれたのでしょう。狭い小屋から唐突に広野へ放たれた鶏は、少し戸惑いながら羽をばたつかせたことでしょう。「慌てやう」が滑稽です。