2024.8月
主宰句
在の子の摘みきし夏花あはあはし
帚木のしづかに青む夏断かな
鱧の皮刻める雨のざんざ降り
半眼に炎天被りくる男
梅雨冷の風滞るさるをがせ
喜雨あとの山の顔貴べり
杉山がかり蜩のこゑに濡れ
観音の御足に青野遠からじ
太白星の出でし一つ葉叢の上
流しさうめん阿呆らしさうで楽しさう
巻頭15句
山尾玉藻推薦
家々は灯に濡れゐたる結夏かな 山田美恵子
八十八夜肥料袋に腰おろし 高尾 豊子
矢車の音群青の空駆くる 湯谷 良
麦秋の風みづうみへたたなづく 蘭定かず子
竹皮を脱ぎしばかりのひとしづく 坂口夫佐子
大勢容れし藤棚吹雪きけり 大東由美子
花茣蓙の模様眼で追ふ昼の雨 五島 節子
憲法記念日黒髪が馬蹴立て 今澤 淑子
雨聞きつ繕ふ手もと宵祭 髙松由利子
蚊遣香隠し階段伝ひ来し 窪田精一郎
住吉の松黒々と端午なる 福盛 孝明
夕刊の火山灰を払ひし渋団扇 するきいつこ
薄紅の龍となりゆく花筏 亀元 緑
新樹光鳩はアスファルトの色に 藤田 素子
近道の坂のてごはし夏鶯 根本ひろ子
今月の作品鑑賞
山尾玉藻
家々は灯に濡れゐたる結夏かな 山田美恵子
夏安居の開始を「結夏」終了を「解夏」と言います。僧侶たちが夏行に入った日、在家にあっても夏花を供え経を唱えて静かに過すこととなります。安居に入った夜、各在家では灯を点しつつ神妙な雰囲気で静まっていたのでしょう。作者はそれを「灯に濡れゐたる」となかなか詩的に捉えています。
八十八夜肥料袋に腰おろし 高尾 豊子
作者は長年の勤めを無事終え、今は畑仕事を楽しんでおられます。八十八夜が過ぎれば気候が安定し、これから本格的な農作業が始まるのでしょう。作者も「肥料袋に腰おろし」ながら今後の作業のあれこれに思いを巡らせています。自分に引き付けた内容であるだけに、気を張ることなく「八十八夜」の本意を捉えています。
矢車の音群青の空駆くる 湯谷 良
「群青の空」よりこの日は好天、無論鯉幟は掲げられていますが、作者の興味は「矢車」の軽快な音にあります。留まることを知らないその音は、まるで碧天を駆け巡っている音でもあるかのようです。視覚よりも聴覚がよく働くのは、五月の爽やかな空気感の所為でしょう。
麦秋の風みづうみへたたなづく 蘭定かず子
やや強い風がよく熟れて黄褐色となった一面の麦の穂をざわつかせながら、琵琶湖を目指し駆け抜けていきます。いわゆる麦嵐は肌にも耳にも心地よく、梅雨前の束の間の爽快さが伝わってくる一句です。
竹皮を脱ぎしばかりのひとしづく 坂口夫佐子
今まさに皮を脱いだばかりの竹の節から、一粒の「しづく」が綺羅と輝き落ちた瞬間を捉えました。恐らく今落ちた皮の中に留まっていた雨雫だったのでしょう。なんの汚れもない清澄な「ひとしづく」なのです。写生眼の効いた一句に揺らぎはありません。
大勢を容れし藤棚吹雪きけり 大東由美子
恐らく立派な藤棚なのでしょう。大勢の人が藤棚に潜り込みその美しさを堪能していた時、思いがけなくも風の勢いで藤の花が突然吹雪いたのです。桜吹雪とは趣を異にし、薄紫いろの吹雪きは大変雅で、まるで天上の景といっても過言ではなかったでしょう。偶々の一瞬の景を捉え、極限の美の世界を描きました。
花茣蓙の模様眼で追ふ昼の雨 五島 節子
雨籠りの一日、何をするでもなく部屋に敷いた「花茣蓙」をぼんやりと眺めている作者。そして普段は余り気にも留めていなかったその模様を改めて確かめているところです。少しはアンニュイも晴れたのでしょうか。
憲法記念日黒髪が馬蹴立て 今澤 淑子
「憲法記念日」の句は理屈っぽくなると失敗ですが、私は掲句を直感的に是としました。敢えて鑑賞するなら、日本国憲法は七十年以上改正されておらず、しばしば見直しを求める動きが起こります。しかしそれには十分慎重な議論が尽くされる必要があり、容易に施行されるものではないでしょう。このような視点に立つと、重々しい憲法と「黒髪が馬蹴立て」の爽快さは両極にあり、そこに作者独自のアイローを感じたのです。
雨聞きつ繕ふ手もと宵祭 髙松由利子
本宮を明日にして、祭半纏でも繕っているのでしょう。そして生憎の雨音を聞きつつ、明日の天気を気遣ってもいるのでしょう。繕う自分の手元を見つめながら、笛の音にこころ躍らせ、本宮への思いをいよいよ募らせているのでしょう。
蚊遣香隠し階段伝ひ来し 窪田精一郎
「隠し階段」から忍者屋敷や何やら曰く付きの屋敷などを連想しがちですが、現代では折り畳み階段が収納されたロフトやお洒落な屋根裏部屋などもあり、必ずしも特異な場所をイメージする必要はありません。掲句、そこから生活感ある「蚊遣香」が伝わってくるのですから、明らかに後者のケースでしょう。
住吉の松黒々と端午なる 福盛 孝明
江戸時代に松が枯れ始めた住吉大社では、松苗を境内に植樹し献詠俳句を披露する松苗神事が行われます。それほどに大社の松は神聖なものとされ、シンボルともなっています。「黒々と」からもそれが感じ取られ、松の雄々しい姿に男の子の誕生を祝い成長を祈る気持ちを巧みに重ねています。
夕刊の火山灰を払ひし渋団扇 するきいつこ
作者の故郷は桜島を望む鹿児島。夕刊が火山灰を被ることは日常事なのでしょうが、その灰を払うのが「渋団扇」であることで俄然俳句的ユーモアが生じています。昔は一本気で、短気で、少々男尊女卑であった九州男児も、今や老いて好々爺となられたのでは、などと想像が膨らみます。
薄紅の龍となりゆく花筏 亀元 緑
なんと美しい景を捉えた一句でしょうか。しかしムードに流された気分的な措辞を何一つ介入させず、また凝ったフレーズでもなく、ただ自身の客観眼だけを頼みとした結果の一句です。感性の働く句を持ち味とする作者ですが、このような写生句にも一層磨きをかけて欲しいものです。
新樹光鳩はアスファルトの色に 藤田 素子
元々アスファルトも鳩も同じ灰色をしているのだから何を今更、などと捉えるのは詩人ではありません。青葉若葉となった樹木が日に映え、何もかもが輝きを増す季節、アスファルトとそれを歩く鳩の色は一層灰色一色となり新樹の陽光を浴びている、との心性に共鳴してこそ詩人です。
近道の坂のてごはし夏鶯 根本ひろ子
坂の方が近道と思って来たものの、その勾配が思いの他きつくて、なかなか閉口している様子です。呟きのような「てごはし」から、後悔先に立たずの心中がよく窺い知れます。そんな作者を囃したてるかのように「夏鶯」が盛んに鳴き立てています。