2025.1月
主宰句
風昏れてまんじともゑに大枯野
四五歩さきの夕暗がりの落葉籠
一陽や茶の花に蘂あればこそ
ほとけ名の山影にして猪の鍋
花石蕗のひと叢に日イねびゐたり
菅浦のザボンを思ふ炬燵かな
大面のはておとなしき闇汁会
数へ日の冷蔵庫より製氷音
布袋像の腹にゆかしき年の塵
寒林に透けパチンコ店の勢(きほひ)
巻頭15句
山尾玉藻推薦
立呑みの朝から混める神の留守 蘭定かず子
なににかはせんと手窪の烏瓜 山田美恵子
露ひとつぶこぼして萩の照りかげり 坂口夫佐子
藷蔓を炒めて祖母の顔知らず 高尾 豊子
憑物の落ちしやうなるやんまの眼 福盛 孝明
天高しずらりと並ぶアキレス腱 大東由美子
森のもの踏めば秋過ぐ音したり 大内 鉄幹
二号車のバスが先づ入る茸山 西村 裕子
はたはたの飛んだる空の低かりし 湯谷 良
明王の眉根もつとも冬待てる 西村 節子
吾がための飯にぎりきし花野かな 小林 成子
砂袋おほかたひしやぐ秋土用 今澤 淑子
穭田のパチンコ店に行き止まり 石原 暁子
交番の明り取りより鰯雲 成光 茂
更けてより膳に出されし氷頭膾 ゐちらう
今月の作品鑑賞
山尾玉藻
立呑みの朝から混める神の留守 蘭定かず子
天王寺界隈吟行の嘱目詠。天王寺区新世界の通天閣のお膝元にジャンジャン横丁と呼ばれる道幅の狭いアーケードがあり、美味しくて安いB級グルメや立呑み屋の小さな店舗がぎっしりと並んでいます。立吞み酒店の暖簾越しに、まだ朝にも関わらずお酒を楽しむ沢山の脚が見えたのでしょう。女性の脚も並んでいたのかも知れません。作者は流石に大衆の町らしい景だと注目しました。このような内容でも吟行地への挨拶が籠められているのです。
なににかはせんと手窪の烏瓜 山田美恵子
「烏瓜」の実や根は食せるとは聞きますが、大方の人は手間暇かけてそれを食することはせず、唯々赤く灯るそれを手にしたいという思いからで蔓を引っ張るのです。まして好奇心旺盛な俳人なら必ず蔓を引っぱる筈です。作者もその一人、漸くそれを手に入れたものの、「なににかはせんと」と考えている貌が可笑しみを誘います。
露ひとつぶこぼして萩の照りかげり 坂口夫佐子
この場合の「露」と「萩」の二重季語は問題ではありません。何故なら夜間少し冷え込むようになったことを暗示する「露ひとつぶ」との断定があるからです。その上で「照りかげり」の措辞によりその時節らしい移り気な天候を言い得ています。季語と呼ばれる二物が一体となり詩の世界を創造し、しかも二物のどちらが欠けても詩を成さない場合、簡単に二重季語扱いをしたくありません。但し、この作句法においては作り手にも読み手にもそれなりの力量が求められるところでしょう。
藷蔓を炒めて祖母の顔知らず 高尾 豊子
正直、私は「藷蔓」を食した経験がありません。しかし作者の母上はその母上からその料理をごく自然に教わり、作者もまた母上からそれを自然体で受け継がれてきたのです。藷蔓を炒めながら、作者はふと祖母の顔を知らずに祖母と同じ料理をする不思議を思っています。たとえ藷蔓料理であっても嬉しい文化が受け継がれてゆくのです。
憑物の落ちしやうなるやんまの眼 福盛 孝明
この「やんま」は蚊や蠅などが天敵とする肉食の「鬼やんま」でしょう。その眼は体に対して非常に大きく深い緑色を湛え、かなり威圧的です。しかし晩秋ともなれば眼からそんな勢が消えるのですが、その状態を「憑物の落ちしやうなる」と喩えて読み手を大いに納得させます。
天高しずらりと並ぶアキレス腱 大東由美子
「ずらりと並ぶアキレス腱」から、マラソンのスタート地点に集まったランナー達を思い浮かべます。それも競技の為のランナー達ではなく、市民マラソンのランナー達であることが知れる筈です。そのことは上五に据えた大らかな爽快感を伝える「天高し」が伝えています。
森のもの踏めば秋過ぐ音したり 大内 鉄幹
晩秋の森の径はとりどりの落葉で深々と覆い尽くされ、初秋の森を行く音と晩秋の森を行く音は自ずと異なります。作者はその音を敏感に聞き分け、冬の近いことを聴覚で捉えました。
二号車のバスが先づ入る茸山 西村 裕子
数台のバスが隊をなし茸狩り目的で「茸山」に入って来たのでしょう。ですがあらら、先ず「二号車」が入山してきました。作者も当然一号車はどうしたのか、故障か事故かと不審に思った筈です。「茸山」のどこか不可思議で先が見通せない趣が、バスにより具体化されました。
はたはたの飛んだる空の低かりし 湯谷 良
「はたはた」が飛ぶことと空の高低に全く関りはありません。しかし作者は、はたはたが低く飛ぶ景に、まるで空が引き寄せられるような錯覚を覚えたのです。その思いが「空の低かりし」に繋がりました。はたはたのあの羽音がこの独自の感覚を呼んだに違いありません。
明王の眉根もつとも冬待てる 西村 節子
この「明王」は不動と思われます。不動は煩悩にまみれた救い難い人間を救うべく、立ち姿は勇ましく激しい憤怒の形相をされています。作者は秋冷を覚えつつお不動の厳しい眉根を眺め、そこに冬間近を覚えています。「もつとも冬待てる」の措辞に妙味があります。
吾がための飯にぎりきし花野かな 小林 成子
大方の主婦は家族の為のお結びは握りますが、自分の為だけに握ることは少ないものです。しかし今日は自分の為だけに握ったお結びを携え、存分に楽しむつもりの作者です。女性らしい花野の一句です。
砂袋おほかたひしやぐ秋土用 今澤 淑子
川の氾濫を防ぐために積まれた「砂袋」でしょうか。幸い氾濫もなく人々が踏みつけるばかりで、押しつぶされている様子です。作者はそこに秋から冬への移り変わりを実感しているのです。まだまだ暑い晩夏の「土用」では「ひしやぐ」と響き過ぎる感があり、「秋土用」が即かず離れずの働きをしています。
穭田のパチンコ店に行き止まり 石原 暁子
郊外へ行くと田園風景に大型パチンコ店が融け込んでいるような、いないような、否、異様な景に出会います。夜ともなればパチンコ店は派手なネオンを掲げ、一層奇々怪々な様相を呈することでしょう。
交番の明り取りより鰯雲 成光 茂
後ろめたい思いがある訳でもないのですが「交番」は何となく長居したくない場所。ところが作者は天井の「明り取り」より見える「鰯雲」を捉えました。特殊な場所でも深まる秋を感じられるものですね。
更けてより膳に出されし氷頭膾 ゐちらう
「氷頭膾」は鮭の鼻先の軟骨を膾仕立てにした料理で、透き通った軟骨のこりこりとした触感が身上、無論お酒の肴に申し分ない逸品。要である「更けてより」から、この料理人が夜が更けるに従い酔いが回って来た呑み助たちを喜ばす術をよく心得ていることが判ります。